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20世紀前半の奏法と現在の奏法の違いについて | ヴァイオリン掲示板

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20世紀前半の奏法と現在の奏法の違いについて

投稿日時:2009年09月26日 23:23
投稿者:catgut(ID:QhNBB4k)
20世紀前半の奏法といっても非常に漠然とした話ですが、レオポルド・アウアーやカール・フレッシュの弟子、指導書の影響力が大きかった20世紀前半の奏法と、ジュリアード出身者のソリストが増えた20世紀後半以降のヴァイオリン奏法では傾向の違いがあるように思われます。このスレッドでは、両者にどのような違いがあるか、あるとすればその原因がどこにあるかといった点について議論させて頂きたいと思います。
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【ご参考】
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Re: 20世紀前半の奏法と現在の奏法の違いについて

投稿日時:2010年01月18日 08:07
投稿者:catgut(ID:QUCIGJM)
pochiさま、グラマラス女優しか存在しない世界は勘弁してください。

先に紹介したようにギトリスは以下のようにストリング誌のインタビューで語っています。

「例えば、最近の傾向はやたらと大きな音を出すのが好まれているようですが、人は本当に親密に何か伝えたい時にはむしろ小声になりはしませんか?決して無駄に叫んだりはしないものです。演奏技術というものはそういう側面も多分に含んでいます。誰かを本当に愛していてそれを伝えるのに、むやみに叫んだりはしないはずです・・・。」

いわゆるベルカント唱法は、肉声が大きなホールで聴衆に聞こえるようにするために生まれた面があります。「ささやく」時にまでベルカント唱法でなければならない世界にも住みたくありません。

カルボナーレさま、鈴木秀美氏は先に紹介した「時代の音」という論文で以下のように書かれています。

-----
p17
スチール弦の音質も良くなってはきたとはいえ、当然のことながら基本的に金属的な音質、音色の悪さや変化の乏しさと、絶え間なくかかるヴィブラートの流行とはどうも無関係ではないように思われる。発音の仕方や音の減衰の仕方もガット弦とは異なることから当然ボウイングの技術も変化し、ヴィブラートは徐々に、熱病ではなく、最も美しいこととされるようになってゆき、「歌うこと」とは即ちヴィブラートをかけることと解され、音楽のなかにある「言葉」は美音追求の名の下にないがしろにされ、人々はその揺れた音で何を語るかを忘れがちになっていった。
-----

コゲさま、上記の論文に以下の指摘がありますよ。

-----
p18-p19
ドミナントというナイロン弦は1974年頃来日したイツァーク・パールマンが使用していたもので、彼と共に日本に上陸したといってもよいようなものだが、彼の演奏の素晴らしさも手伝ってあっという間に拡がり、今まで聴いたことのない音質のヴァイオリンがどんどん一般的になっていった。
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Re: 20世紀前半の奏法と現在の奏法の違いについて

投稿日時:2010年01月18日 09:01
投稿者:コゲ(ID:QpCDEQg)
>catgut氏

それは結果です。
過去の前例がこうだからといって、
まだ出来てもいない物にまで同じ展開が起きるなどと、
何故言い切れるのでしょうか。
[42235]

Re: 20世紀前半の奏法と現在の奏法の違いについて

投稿日時:2010年01月18日 09:05
投稿者:カルボナーレ(ID:lXYJR3A)
catgutさん、
私の[42216]
[42216]

Re: 20世紀前半の奏法と現在の奏法の違いについて

投稿日時:2010年01月17日 20:17
投稿者:カルボナーレ(ID:lXYJR3A)
[42211]のcatgutさんの下記の発言ですが、
>ソリストになるための条件が20世紀前半と後半では違っているという話をしているのですよ。
>大手レコード会社と強いコネクションがあったジュリアード系を除いて最近は大きなコンクールの入賞を経ないでソリストになるケースはむしろ少数派ではないでしょうか。

コンクール優勝経験なしでソリストとしてデビューするケースは少数というのは否定しませんが、私は、現在も超一流のソリストは、コンクールとは直接的な関係はないと思います。

私が、現役の奏者で超一流のヴァイオリン演奏家だと考えているのは、例えば、下記です。

ヒラリー・ハーン
マキシム・ヴェンゲーロフ *最近ヴァイオリンをやめて極めて残念)
五嶋みどり
フランク・ペーター・ツィンマーマン
アンネ・ゾフィー・ムター
オーギュスタン・デュメイ

よって、[42203]のcatgutさんの発言も含め、catgutさんの単なる思い込みと断定させていただきます。

catgutさんは現在の超一流ソリストとして誰をイメージして議論を展開されているのでしょう。

また、以前も書きましたが、いろいろな話の中で、1917年以前とそれ以降はまったく別ものとして扱ってください。20世紀前半を1920年頃以前と定義して議論を展開をするのであれば、catgutさんの話にもある程度は合意できるところはあります。
また、演奏者を一人取り上げる場合でも、米国に移住する前と後をくれぐれもいっしょにされませんように。
ストラディヴァリについても、同じく、数十年オーダーでの時間軸の変化というものを、ひとくくりにして話をすすめるような乱暴な事はしないでくださいね。
での発言「”コンクール”と”ソリスト”の関係」や[42227]
[42227]

Re: 20世紀前半の奏法と現在の奏法の違いについて

投稿日時:2010年01月18日 01:41
投稿者:カルボナーレ(ID:lXYJR3A)
catgutさん
>いわゆるアメリカ的な奏法ではなく、20世紀前半のヨーロッパ的奏法を比較的継承されている方々に私には思えます

>以前も書きましたが、日本でもそもそも歴史的にヨーロッパ系の奏法が早く入ったためか、その奏法で弾かれる方は、年配の方には少なくないと感じています。

年配の日本人の弾き方といっしょにする方がどうかしています。
以前から何度も私が主張して言いるように、今は明確なフランコベルギー派もロシア派もなく、また米国、欧州両方で学ぶ事も一般的であり、さらにはいろいろな流派、演奏家、教師から得られた過去の蓄積から早く効率的にテクニックを身につけるメソッドも確立していますので、”高度なハイブリッド奏法”が一般的であると考えるべきです。支流が合流して大河になってきたという感覚をもっており、私はこれを進化だととらえています。
ガラミアンの教えももう過去のものであり、出来のよい弟子は当然もうガラミアンを超えています。
これも以前から言っているように、1か0か、白か黒かで表すべきものではなく、1も0も、白も黒も、あるいは0、5もグレーも同時に共存するのです。

catgutさんは、コンクールでは、音が大きな人が一番になると思っているのですか。審査員、聴き手は音が大きければ、素晴らしい演奏家だと思い、感動し絶賛するのですか。
”技術”も”音色”も”音楽解釈”も”表現力”も”ダイナミックレンジ”も兼ね備えた奏者が一番になるのではないのですか。音量は、”ダイナミックレンジ”の一要素であり無ければならないものですが、あくまでもベースとなる要素の一つでしかありません。
の”奏法の進化の話”、と[42233]
[42233]

Re: 20世紀前半の奏法と現在の奏法の違いについて

投稿日時:2010年01月18日 08:07
投稿者:catgut(ID:QUCIGJM)
pochiさま、グラマラス女優しか存在しない世界は勘弁してください。

先に紹介したようにギトリスは以下のようにストリング誌のインタビューで語っています。

「例えば、最近の傾向はやたらと大きな音を出すのが好まれているようですが、人は本当に親密に何か伝えたい時にはむしろ小声になりはしませんか?決して無駄に叫んだりはしないものです。演奏技術というものはそういう側面も多分に含んでいます。誰かを本当に愛していてそれを伝えるのに、むやみに叫んだりはしないはずです・・・。」

いわゆるベルカント唱法は、肉声が大きなホールで聴衆に聞こえるようにするために生まれた面があります。「ささやく」時にまでベルカント唱法でなければならない世界にも住みたくありません。

カルボナーレさま、鈴木秀美氏は先に紹介した「時代の音」という論文で以下のように書かれています。

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p17
スチール弦の音質も良くなってはきたとはいえ、当然のことながら基本的に金属的な音質、音色の悪さや変化の乏しさと、絶え間なくかかるヴィブラートの流行とはどうも無関係ではないように思われる。発音の仕方や音の減衰の仕方もガット弦とは異なることから当然ボウイングの技術も変化し、ヴィブラートは徐々に、熱病ではなく、最も美しいこととされるようになってゆき、「歌うこと」とは即ちヴィブラートをかけることと解され、音楽のなかにある「言葉」は美音追求の名の下にないがしろにされ、人々はその揺れた音で何を語るかを忘れがちになっていった。
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コゲさま、上記の論文に以下の指摘がありますよ。

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p18-p19
ドミナントというナイロン弦は1974年頃来日したイツァーク・パールマンが使用していたもので、彼と共に日本に上陸したといってもよいようなものだが、彼の演奏の素晴らしさも手伝ってあっという間に拡がり、今まで聴いたことのない音質のヴァイオリンがどんどん一般的になっていった。
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でのcatgutさんの記載「"ビブラート”と”スチール弦”の関係」は、関係ない内容ですので、これは別の話の語りかけを始めたのですね。
まずは、”コンクール”の件については、誤りに気づき、取り下げたとして判断させていただきます。

さてビブラートの件ですが、catgutさんは年が明けると、自分の思い込みに都合が悪い事はすべて忘れる健忘症なのでしょうか。
<catgutさんからの発言の要旨>
- ハイフェッツの”2倍音が強調される音色”は、ガット弦を軽く早い弓使いで演奏することにより得られる。
<誰の発言か忘れましたが、衆知の事実>
- ハイフェッツの音色の秘密の一つは、1音1音に絶え間なくかけるビブラートである。
<私の発言の一部>
- 過去の音源から調査するとビブラートが一般化したのは1920年~1930年頃

以上より、[42233]
[42233]

Re: 20世紀前半の奏法と現在の奏法の違いについて

投稿日時:2010年01月18日 08:07
投稿者:catgut(ID:QUCIGJM)
pochiさま、グラマラス女優しか存在しない世界は勘弁してください。

先に紹介したようにギトリスは以下のようにストリング誌のインタビューで語っています。

「例えば、最近の傾向はやたらと大きな音を出すのが好まれているようですが、人は本当に親密に何か伝えたい時にはむしろ小声になりはしませんか?決して無駄に叫んだりはしないものです。演奏技術というものはそういう側面も多分に含んでいます。誰かを本当に愛していてそれを伝えるのに、むやみに叫んだりはしないはずです・・・。」

いわゆるベルカント唱法は、肉声が大きなホールで聴衆に聞こえるようにするために生まれた面があります。「ささやく」時にまでベルカント唱法でなければならない世界にも住みたくありません。

カルボナーレさま、鈴木秀美氏は先に紹介した「時代の音」という論文で以下のように書かれています。

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p17
スチール弦の音質も良くなってはきたとはいえ、当然のことながら基本的に金属的な音質、音色の悪さや変化の乏しさと、絶え間なくかかるヴィブラートの流行とはどうも無関係ではないように思われる。発音の仕方や音の減衰の仕方もガット弦とは異なることから当然ボウイングの技術も変化し、ヴィブラートは徐々に、熱病ではなく、最も美しいこととされるようになってゆき、「歌うこと」とは即ちヴィブラートをかけることと解され、音楽のなかにある「言葉」は美音追求の名の下にないがしろにされ、人々はその揺れた音で何を語るかを忘れがちになっていった。
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コゲさま、上記の論文に以下の指摘がありますよ。

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p18-p19
ドミナントというナイロン弦は1974年頃来日したイツァーク・パールマンが使用していたもので、彼と共に日本に上陸したといってもよいようなものだが、彼の演奏の素晴らしさも手伝ってあっという間に拡がり、今まで聴いたことのない音質のヴァイオリンがどんどん一般的になっていった。
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でのビブラートに関する引用は、ハイフェッツ、クライスラー、オイストラフ、ミルシュタイン等を語る時には不適切であることは明確です。

やはり今後、この手の発言の中で、”20世紀前半”という言葉は使わない、考えない方がよいですよ。20世紀前半と言って発言している内容が、1920年以前を指す時と、それ以降に活躍した演奏者(ハイフェッツ、ミルシュタインなど)の時代を指す時で、矛盾するのですから。
ご自身の整理のためにも、少なくとも四半世紀単位で区切るべきです。
[42236]

Re: 20世紀前半の奏法と現在の奏法の違いについて

投稿日時:2010年01月18日 19:29
投稿者:catgut(ID:QUCIGJM)
コゲさま、
木質加工によって「オールドの音」になることは、実際にヴィヨームが複数の楽器で行っていることや、峯沢峯三の証言、複数のプロヴァイオリニストの証言などで確実です。ただ、加工後の状態を従来の技術では長く保てなかったということです。ヴィヨームは恐らく加工した木材でヴァイオリンを作ったのではなく、完成したヴァイオリンに熱を加えるといった無理なことをしたのでしょう。
しかしすでに紹介したようにギターではLandola社やヤマハが木質加工を行った木材でギターを製作し、販売を開始してから何年も経過しています。

カルボナーレさま、
ヴァイオリンの演奏技術は「進化」しているのではなく「変化」しているのだと思います。弓だけ見ても、20世紀前半には54g-58g,弓毛100-150本が標準、現在は58g-62g,弓毛150-200本が標準ですから、20世紀前半の奏者が我々の弓を見ると、我々の感覚では「ヴィオラ弓に300本の毛を張って
ヴァイオリンを弾いている」のと同様な印象を持つでしょう。
[42238]

Re: 20世紀前半の奏法と現在の奏法の違いについて

投稿日時:2010年01月18日 23:44
投稿者:……(ID:JlBISZA)
グラマラス女優ではなく、人工的に骨肉を削った整形美人(廃人?)がお好きなようで。合掌。
[42239]

Re: 20世紀前半の奏法と現在の奏法の違いについて

投稿日時:2010年01月19日 00:18
投稿者:カルボナーレ(ID:lXYJR3A)
現在の人類は類人猿から”変化”しました。変化の過程で、猿のよいところをずいぶん失いました。
飛行機で空を飛ぶところをみたら、類人猿は「鳥の真似をして嘆かわしい」というでしょう。

陸上競技もずいぶん”変化”しました。真っ裸で走っていたギリシャ時代が懐かしい。

野球も”変化”しました。100年前の選手が打席にたったら、スライダーやフォークボールを見て、反則だ!ときっというでしょうね。真っ向勝負がベースボールだ!

以上、catgut論に従って書いてみました。
私は決してそんなことは思いません。
[42240]

Re: 20世紀前半の奏法と現在の奏法の違いについて

投稿日時:2010年01月19日 00:42
投稿者:catgut(ID:QUCIGJM)
戦前からの伝統がある杉藤楽弓社では毛の量について以下のように考えているということです。杉藤の弓は軽めのものが経験上多いと思います。

ttp://www.sugito-bow.co.jp/bow_knowledge.htm
多めが良いと考えている方がいますが、これは間違いです。多過ぎる毛は弓の良さをぼかしてしまいます。多過ぎる毛は、人にたとえれば贅肉です。弓の反応を悪くさせています。毛が少ないと音が痩せると感じるとすれば、その時、やっと棹(木質)の音が現れてくるのであって、弓のキャラクターが鮮明になってくるのです。逆に多過ぎの毛は、せっかくの弓の持ち味が隠れているわけです。
毛の量は、理想を言えば、一列並びですが、現実的には、それより1、2割り増しでしょうか。もしお使いの弓が、多すぎる毛の量でしたら、是非、無駄な贅肉を取って、スリムになって下さい。弓も軽くなり、運弓も軽やかになり、弓の反応が良くなるでしょう。

カルボナーレさま、
あくまでソリストの話ですが、誰が弾いているか聞き分けられない演奏
が複数存在する意味があるでしょうか。もし偉大な演奏であっても聞き
分けることが困難なら、そのようなソリストは数人いれば十分でしょう。
[42242]

Re: 20世紀前半の奏法と現在の奏法の違いについて

投稿日時:2010年01月19日 01:43
投稿者:カルボナーレ(ID:lXYJR3A)
私のようなおじさんには、AKB48も、モーニング娘も、ハロプロも同じように聴こえます(見ればわかりますが..)。ジャニーズ系のグループの歌も、同じように聴こえます(こちらは見てもわからないことが多いです)。でも高校生やオタクにそんなことをいったら、笑われます。

私は、演奏家が誰であるかには興味がなく、表現される音楽が自分の琴線に触れるかどうか、納得できるかで、聴く音楽を選びます。

誰が演奏しているか聴き分けられなくても、好きなものは好き、良いものは良い。そして聴き続けると、好みの演奏者がいることがわかってくる。という聴き方を私はします。先日名前を挙げた一流ソリストというのは、そのようにして最終残ってきた演奏家です。

道行く人100人にハイフェッツの音を聴かせて、それが誰の演奏であるか答えられる人は1人いればよい方でしょう。ヴァイオリンを弾く人を無作為に集めてきいても、2~3人もいればよい方でしょう。その程度のものであり、誰の演奏か聴き分けられるかというのは、一部の人の、個人的な好みと興味の範疇の話でしかありません。

素直にみて、「ほとんどの人は聴き分けられない。一部の人は、ある程度聴きわけられるが、多くは聴きなれた録音の節回しや音色を覚えているだけである。ごくごく一部の人は、著名演奏家はほとんど言い当てられる。」といったものをもとに、ソリストの存在意義を論じることが、私には理解できません。
[42243]

Re: 20世紀前半の奏法と現在の奏法の違いについて

投稿日時:2010年01月19日 02:31
投稿者:……(ID:JlBISZA)
>多過ぎる毛は弓の良さをぼかしてしまいます。

一連の議論の中で、ただ単に「多すぎる」ってあまりに大雑把杉。笑っちゃう。
やっぱり滅茶苦茶。もうやめなよ。
[42244]

Re: 20世紀前半の奏法と現在の奏法の違いについて

投稿日時:2010年01月19日 03:29
投稿者:pochi(ID:KFYpcJE)
弓の毛の量は昔からフェルールの大きさ形状によって決まっていたと思うのですが、違うのでしょうか?両端数本多めに入れてきっちり2重に張りますよね。昔の人は簾の様に張るのが普通だったのでしょうか?それとも太い毛を使っていたのでしょうか?
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