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Suzuki Method 批判 | ヴァイオリン掲示板

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雑談・その他 106 Comments
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Suzuki Method 批判

投稿日時:2004年03月02日 21:38
投稿者:pochi(ID:EyA4ZDM)
c0a774bb氏・その他の皆様へ提案です。

http://fstrings.com/board/board.asp?id=8898
は、既に議論されている事の焼き直しだったので、下記のリンクに戻しました。
http://fstrings.com/board/board.asp?id=2557
は、素朴な疑問から始まっています。もはやその域を超越してしまっています。
学術的にSuzuki Method批判を展開して下さい。

読み込みが遅くて困っている人も沢山いらっしゃると思うので、新しいスレッドを立ち上げました。

宜しくお願い致します。

追伸:私の名前の所にリンクを貼ってあります。
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Re: Suzuki Method 批判

投稿日時:2004年03月16日 16:24
投稿者:読譜力をつけるには(ID:EWlCCGM)
一口に読譜力に問題があるといっても、「楽譜をきちんと読めない」のか「読めても時間がかかりすぎる」のかが問題です。楽譜をきちんと読めないというのは要するに楽典の知識が不足しているわけですからこれはきちんと勉強しさえすれば誰でも克服できることです。これには副楽器としてピアノを習うのも非常に効果的です。
それに対して「読めることは読めても時間がかかる」という場合、楽譜の読み方のコツを会得していないということです。例えばコンチェルトやソナタの勉強ばかりしていても楽譜を速く読む力はなかなか身につきません。比較的易しい楽譜を短時間のうちに大量に読むといった訓練がどうしても必要になります。
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Re: Suzuki Method 批判

投稿日時:2004年03月16日 20:34
投稿者:Mr. Z(ID:KVhBcCY)
鈴木関連文献です。

ストリング誌3月号で篠崎史紀氏が自身の幼少頃の体験をもとに下記のように書いています。

「僕はスズキ才能教育(スズキメソード)の形っていうのは、もの凄くある意味でね、いい形だと思う。個人レッスンだけじゃなくて、時々グループレッスンで皆と会って、友達を作って、そこで互いにコミュニケーションをして・・・。」(以下略)

合奏会という形式も大きな意味があるようですね。よく全国大会が批判に上りますが、年に一度大合奏をしたところで音楽性がなくなるとは思えません。年中やっていたら問題かもしれませんが。

篠崎さんのお父さんは才能教育の先生だったのでしょうか?
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Re: Suzuki Method 批判

投稿日時:2004年03月18日 09:41
投稿者:Mr Z(ID:kkQzRoA)
よく「読譜力」のあるナシが話題になりますが、単に技術が無いだけの場合と混同していることが往々にしてあるようです。初見の場合は特にその曲に必要とされる技術レベルよりずっと高い技術を持っていないと対応できません。

アマチュアの場合はオケで弾く曲がたやすく弾けるくらいのレベルになっていれば読譜力が問題となるケースはまれでしょう。
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Re: Suzuki Method 批判

投稿日時:2004年03月20日 14:06
投稿者:何も知らないのですね、、、(ID:E1IXgjM)
>篠崎さんのお父さんは才能教育の先生だったのでしょうか?

スズキに都合の妄想はよして下さいね。
誤解を招くといけないので言っておきますが、全く関係ありません。

篠崎氏の文章は別にスズキ・メソッドのシステムを良いと言ってるのではなく、たまに合奏して友達ができれば練習も楽しい時だってある、程度の話です。だから篠崎氏は子供のオケを主催したりしてますが、CD聞かせて
真似ッコは駄目っておっしゃいます。ついでに「スズ○はダメ」って言ってました。ストリング誌はスズキの記事書いて購買数増図ってるので「或る意味では」という表現になったと思われます。
一応、弟子の弁明でした。
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どうしてここのスズキ批判者は非論理的なのか

投稿日時:2004年03月20日 14:44
投稿者:Mr z(ID:IyBhgFA)
どうしてSuzuki批判の人は非学術的な批判に走るのでしょうかね?論理性がまるでない人が「この掲示板には」多いようです。
私は書いてあることを忠実に読み込み、それをもとに投稿しているだけです。勝手な解釈を挟むならきちんとした論拠を示すべきでしょう。

>たまに合奏して友達ができれば練習も楽しい時だってある、程度の話です。

こんなことは書いていませんよ。ちゃんと文章を読んだらどうですか?後に続けて、スズキ的な、人間教育的な面を「ある意味では」肯定しています。別に全てを肯定しているわけでも否定しているわけでもない。この「ある意味では」というのを下記に結びつけるのは強引というものです。篠崎氏の発言をストリング誌がスズキメソッドのために無理矢理改ざんしたということですか?証拠はありますか?名誉毀損にあたりますよ。

>ストリング誌はスズキの記事書いて購買数増図ってるので「或る意味では」という表現になったと思われます。

改ざんしていないとして、篠崎氏はスズキメソッドに何の義理もないのですから、気を遣って何かを書く必要もないわけです。竹澤氏も同様です。
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Re: Suzuki Method 批判

投稿日時:2004年03月20日 14:57
投稿者:Mr. Z(ID:JBhjZHI)
あまり気軽に弟子を名乗らない方がいいのでは?篠崎氏が嘆きますよ。
自分の弟子が自分の書いた文章を矮小化してしまっているのですから。

篠崎氏は続けて次のように書いています。
「子供達が輪を拡げていって、新しい友達とのつきあいと、新しいマナーと、新しいものを感じ取って、お互い勉強していくわけでしょ?そういうことがね、僕は成長っていう言葉につながると思うのね。でも今、ほとんどそうじゃないよね?まるっきり個人で、何か技術を鍛錬して磨いて・・・ まぁそうやっていけば確かにビックリするような演奏はできるけど、”じゃぁその先は・・・何?”ってことになってくるわけ、僕から言わせると(笑)」

これを要約すると「たまに合奏して友達ができれば練習も楽しい時だってある、程度の話です。」こうなるというのがe0a96d1d の意見ですが、師のせっかくの意見を滅茶苦茶にしていますね
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Re: Suzuki Method 批判

投稿日時:2004年03月20日 15:53
投稿者:fiddlin' economist(ID:JhQmI0M)
出張で自宅に帰ってきましたので、自分が使った た鈴木教本をみてみました。
1966年版の第6巻ですが後ろの広告をみると、1~3巻に両面フォノシート2枚付
き!となっています。4巻からはフォノシートはなく、譜読みもポジションエチ
ュードもやるということで指番号依存、耳依存もしなくなるというコンセプト
だったんじゃないでしょうか?
これがどこかの時点でで8巻まで耳依存でやるように変わっちゃったのでしょう
か?
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Re: Suzuki Method 批判

投稿日時:2004年03月24日 17:24
投稿者:fiddlin' economist(ID:MTKIcVM)
鈴木教本の8巻(1974年版)というのが、どういうわけかありました。(なんでこんなもの買ったのか記憶にありません。)これにはレコードがすでに2枚付いています。どうやら、この74年の改定で8巻までレコードが付く事になったようですね。
最初は1955年で3巻までレコード付き、約20年後に改定された時、8巻まで延長された、というのが事実ならこの74年版改定作業において才能教育研究会でレコードを8巻までつけるべしという議論があったということなのでしょう。
つまりそこで、耳で覚える事を3巻程度の導入部分だけでなく、中級レベルに至るところでも重視する何らかの議論があったのだと思います。それとも単なる増収策だったのでしょうか?
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模範演奏

投稿日時:2004年03月24日 21:37
投稿者:pochi(ID:NiYhY4A)
此に投稿したら、歳がバレル。私の時は全部録音為れて居た事にします。

ユーモレスクは「ヨセフ・スーク」で勉強しました。鈴木のレコードを聴いた時、「こんな曲、聞いた事が有るな」とずっと似て非成る物だと思い込んで居りました。

74年に一挙に改定されたのでは無く、過渡期も有りましたよ。

モーツアルトの模範演奏なんて出来る人が現代に居るのでしょうか?「ジノ・フランチェスカッティ」の演奏を凌駕出来るんでしょうか?

元へ戻って、門前の小僧の御経の話しに帰ります。

失礼。
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Re: Suzuki Method 批判

投稿日時:2004年03月25日 13:48
投稿者:ともちん(ID:I4YxlFM)
ギドン・クレーメル氏とツィンマーマン氏のモーツァルトは模範に値し
フランチェスカティ氏の演奏に勝るとも劣らないと思いますがいかがでしょうか?pochi氏のご意見を伺いたい。
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