[55792]
鈴木バイオリンの特製品ラベル表記について
投稿日時:2025年04月01日 06:16
投稿者:メロンパン(ID:QHJFlnQ)
戦後以降に製造された鈴木バイオリンの特製バイオリン(特1・特2・特3など)のf孔から見える製品ラベルですが、「特」と印刷されている辺りに四角囲みの朱肉文字が押印されています。滲んでかすれているので判読できないのと、印鑑等に使用される篆刻書体?の様に見えますが、何という文字(漢字2文字?)が押印されてるのかご存知の方、あるいは判読可能な所有者はおられますでしょうか。
幾つか参考になるラベルを拝見すると、1965年以降は朱肉押印は無く1964年までの様です。押印されている文字とその意味の分かる有識者のみなさま、ぜひ教えてください。よろしくお願いいたします。
幾つか参考になるラベルを拝見すると、1965年以降は朱肉押印は無く1964年までの様です。押印されている文字とその意味の分かる有識者のみなさま、ぜひ教えてください。よろしくお願いいたします。
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[55793]
Re: 鈴木バイオリンの特製品ラベル表記について
投稿日時:2025年04月03日 01:52
投稿者:松毬(ID:VwJ1UlA)
悪しからず、残念ですが分かりません。
朱角印を画像に撮って拡大して見ても、篆書体のようで読めませんでした
朱角印を画像に撮って拡大して見ても、篆書体のようで読めませんでした
[55794]
Re: 鈴木バイオリンの特製品ラベル表記について
投稿日時:2025年04月03日 20:06
投稿者:メロンパン(ID:I1dEVZE)
松毬さま
ご協力いただき感謝申し上げます。
ネット上の『漢字の篆書体|一覧まとめ | 書体ネット』(https://www.syotai.net/tenkoku/#google_vignette)で一通り似たような漢字を参照しましたが、該当しそうなものはありませんでした。敢えて言えば最初の文字が篆書の「昌」に少し似ているので、横棒を抜いた「呂」かも?と想像する程度ですが、そもそもの朱角印が一文字なのか二文字綴りなのかさえ不明です。
仮に「呂」とした場合、その下の文字を含めてどの様な意味となるのかさえ想像つきません。鈴木梅雄氏の雅号でしょうか?
特製バイオリンだけに押印される朱角印の意味って一体何なのでしょう。
引続き有識者のみなさまよりご意見を頂けましたら幸いです。
ご協力いただき感謝申し上げます。
ネット上の『漢字の篆書体|一覧まとめ | 書体ネット』(https://www.syotai.net/tenkoku/#google_vignette)で一通り似たような漢字を参照しましたが、該当しそうなものはありませんでした。敢えて言えば最初の文字が篆書の「昌」に少し似ているので、横棒を抜いた「呂」かも?と想像する程度ですが、そもそもの朱角印が一文字なのか二文字綴りなのかさえ不明です。
仮に「呂」とした場合、その下の文字を含めてどの様な意味となるのかさえ想像つきません。鈴木梅雄氏の雅号でしょうか?
特製バイオリンだけに押印される朱角印の意味って一体何なのでしょう。
引続き有識者のみなさまよりご意見を頂けましたら幸いです。
[55918]
Re: 鈴木バイオリンの特製品ラベル表記について
投稿日時:2025年05月29日 20:51
投稿者:メロンパン(ID:NZRjAhE)
有識者の方々から簡単に判明すると思っていたのですが、意外というか残念な状況です。取るに足らない質問と思われるだけに、どうかご容赦ください。
ネット検索で確認できる昭和38年の特製第3号級品の證明書には「鈴木梅雄」の朱印があります。
「鈴木」は理解出来る範囲ですが、「梅雄」に至ってはどうしたらそうなるんだろう?レベルの篆書体で、これを踏まえれば質問のバイオリン・ラベルにある朱印は「梅雄」印ではないのが素人目にも分かります。
先に申した「敢えて言えば最初の文字が篆書体の「昌」に少し似ている」+もう1文字の2文字構成と思われますが、篆書体の厄介なところは書家次第でガラッと構成(見た目)が変わるのでとても難しいですね。
特製バイオリンは、戦後の1953年から製造再開されラベルには朱印が有るものと無いものがあるので、1953年のどこかの時点で朱角印を押印する様にり、以降1964年の途中まで続いています。「SPECIAL」の文字は1962年から省略され、押印のみ継続され12年間ほど使用された朱角印の様です。
「SPECIAL」の文字が省略され、朱角印も省略されていく過程の鈴木バイオリンは、おそらく鈴木梅雄氏から息子の秩(さとし)氏への移行期と思われ、秩氏が社長に就任される1971年には特製バイオリンも姿を消す様ですので、量産化による効率化が重視される時代の流れの中での変化なのかも知れませんね。
ネット検索で確認できる昭和38年の特製第3号級品の證明書には「鈴木梅雄」の朱印があります。
「鈴木」は理解出来る範囲ですが、「梅雄」に至ってはどうしたらそうなるんだろう?レベルの篆書体で、これを踏まえれば質問のバイオリン・ラベルにある朱印は「梅雄」印ではないのが素人目にも分かります。
先に申した「敢えて言えば最初の文字が篆書体の「昌」に少し似ている」+もう1文字の2文字構成と思われますが、篆書体の厄介なところは書家次第でガラッと構成(見た目)が変わるのでとても難しいですね。
特製バイオリンは、戦後の1953年から製造再開されラベルには朱印が有るものと無いものがあるので、1953年のどこかの時点で朱角印を押印する様にり、以降1964年の途中まで続いています。「SPECIAL」の文字は1962年から省略され、押印のみ継続され12年間ほど使用された朱角印の様です。
「SPECIAL」の文字が省略され、朱角印も省略されていく過程の鈴木バイオリンは、おそらく鈴木梅雄氏から息子の秩(さとし)氏への移行期と思われ、秩氏が社長に就任される1971年には特製バイオリンも姿を消す様ですので、量産化による効率化が重視される時代の流れの中での変化なのかも知れませんね。
[55919]
Re: 鈴木バイオリンの特製品ラベル表記について
投稿日時:2025年05月30日 00:19
投稿者:松毬(ID:IpMDJwE)
赤角印は、済韻?かとも思ったが違いますね。また篆書体は、周、秦、韓、魏ほか印相体も幾つもあるので????、要調査継続でしょう。
また、政吉も梅雄も、楽器に丸い実印風印鑑で捺印した楽器があります。恐らくは、ストラドラベルなどにあるマーク、"丸の内にAtS" を日本風に理解し直して印鑑を用いたようです
戦後のスズキは、GHQの財閥解体で名古屋の梅雄と木曾福島の喜久雄と士郎に分かれたようです。戦後は、木曾が一度潰れたほど不況で、名古屋は細々と生産したようです。
戦後は梅雄の作風も戦前と変わり、また、直ぐには戦前の梅雄自作レベルの楽器はまだ作れません。明治の終わりごろのスズキの定番量販のような楽器を、梅雄も作ったのではないかな?確か52年まで占領下ラベルがあります
特製は、その後の話しで、日本は朝鮮戦争(1950-'53)勃発により一転し復興好況に向かう最中です。
名古屋の傍らで木曾から松本に移った士郎が、名古屋に大きな影響力を与えたようです。これらで梅雄は1962年より戦後の自作を復興すると共に、息子の秩を後継ぎへ育成を本格化したようです。かつて政吉がしたように、政吉自作と梅雄自作を出したように、梅雄は梅雄自作と秩自作を1964年から出し始めています。この当初より秩の木工技術は素晴らしく、また、楽器製作もすぐ上達して '70迄に完成の域に達しています。職人からも認められる存在として翌年社長就任したようです
なお、戦後の特製は、この間に進化向上していて製作年代により出来映えが異なります
また、政吉も梅雄も、楽器に丸い実印風印鑑で捺印した楽器があります。恐らくは、ストラドラベルなどにあるマーク、"丸の内にAtS" を日本風に理解し直して印鑑を用いたようです
戦後のスズキは、GHQの財閥解体で名古屋の梅雄と木曾福島の喜久雄と士郎に分かれたようです。戦後は、木曾が一度潰れたほど不況で、名古屋は細々と生産したようです。
戦後は梅雄の作風も戦前と変わり、また、直ぐには戦前の梅雄自作レベルの楽器はまだ作れません。明治の終わりごろのスズキの定番量販のような楽器を、梅雄も作ったのではないかな?確か52年まで占領下ラベルがあります
特製は、その後の話しで、日本は朝鮮戦争(1950-'53)勃発により一転し復興好況に向かう最中です。
名古屋の傍らで木曾から松本に移った士郎が、名古屋に大きな影響力を与えたようです。これらで梅雄は1962年より戦後の自作を復興すると共に、息子の秩を後継ぎへ育成を本格化したようです。かつて政吉がしたように、政吉自作と梅雄自作を出したように、梅雄は梅雄自作と秩自作を1964年から出し始めています。この当初より秩の木工技術は素晴らしく、また、楽器製作もすぐ上達して '70迄に完成の域に達しています。職人からも認められる存在として翌年社長就任したようです
なお、戦後の特製は、この間に進化向上していて製作年代により出来映えが異なります
[55920]
Re: 鈴木バイオリンの特製品ラベル表記について
投稿日時:2025年05月30日 06:12
投稿者:松毬(ID:IpMDJwE)
捕捉
ラベルの捺印は、ストラドのラベル"丸の内にAtS" マークを肩替わりする形で理解できて、スズキでの始まりはサインの代わりに印鑑を用いたものです。証明書にも記名と捺印され、日本では証文などの証明性が高い捺印が有効と考えたでしょう
梅雄の1962年は、スズキの公開ヒストリーによるものです。これ以前より戦後も記念製作か特注で個人名での製作は存在しており、ただ安定供給出来なかったのでしょう。
また、この公開ヒストリーに、梅雄は1927年に、秩は1964年に、いきなり登場して生産販売しており、これはスズキ会社の中で特別な扱いで後継者として目さたことが分かります。また、以前より技術的な下積みはしてあってのことです
特製に、梅雄サイン入りラベルの楽器があり、梅雄は自らも製作ラインに入って作業したようで、戦後直後からの慣習のようです
ラベルの捺印は、ストラドのラベル"丸の内にAtS" マークを肩替わりする形で理解できて、スズキでの始まりはサインの代わりに印鑑を用いたものです。証明書にも記名と捺印され、日本では証文などの証明性が高い捺印が有効と考えたでしょう
梅雄の1962年は、スズキの公開ヒストリーによるものです。これ以前より戦後も記念製作か特注で個人名での製作は存在しており、ただ安定供給出来なかったのでしょう。
また、この公開ヒストリーに、梅雄は1927年に、秩は1964年に、いきなり登場して生産販売しており、これはスズキ会社の中で特別な扱いで後継者として目さたことが分かります。また、以前より技術的な下積みはしてあってのことです
特製に、梅雄サイン入りラベルの楽器があり、梅雄は自らも製作ラインに入って作業したようで、戦後直後からの慣習のようです
[55921]
赤角印 ➡️. 検査印では?
投稿日時:2025年05月30日 07:06
投稿者:松毬(ID:IpMDJwE)
赤角印は、作者名でもランクや仕様表示でもなさそうなことが分かります
もう一つ可能性として、検査印の可能性があると思います。印相の字の意味が合えばよいのですが、、、??
もう一つ可能性として、検査印の可能性があると思います。印相の字の意味が合えばよいのですが、、、??
[55927]
Re: 鈴木バイオリンの特製品ラベル表記について
投稿日時:2025年05月30日 19:30
投稿者:メロンパン(ID:IoOUNyM)
松毬さま
丁寧な解説ありがとうございます。
様々な角度から解説いただけるので、当方も大変勉強になります。
質問の朱角印は、梅雄氏あるいは当時の工場長が押印されていたのかで少し意味合いが変わる様な気がしていますが、「特」文字に重ねるか周辺に押印されている点からも”丸の内にAtS" 日本風アレンジではなく、特製品である証明の様な意味合いの印である可能性が高いと思われるだけに当方も人名ではない様に思います。
済韻…その可能性も考慮しました。SAIIN VIOLINのラベルにある「済韻之印」と類似性は見られず、既製品への済韻調整済みラベルにある「整調」とも異なる様に思います。
梅雄氏が政吉氏の済韻に対し肯定的であったかは自身には良くわかりません。少なくとも政吉氏なき戦後以降の梅雄氏にとって、済韻を継承されている確証的なものがあるのでしたら見解も変わると思いますが、商業的には済韻継承を前面に押し出す様子もなく、むしろ封印されているかの様な気さえ致します。
亡き父親かつ偉大な師匠の遺産とも言えそうな政吉氏の世界的大発明(当時の宣伝文句)・済韻に対して、戦後の梅雄氏が何か語られている様でしたらとても興味があります。あくまで朱角印がヴァイオリン製造の品質に関連する意味合いと仮定した上での事で、本題の質問の主旨とは異なります。
「確か52年まで占領下ラベルがあります」とは、「Made In Occupied Japan」表示ラベルという事でしょうか。
1947年に輸出貿易再開された際に臨時措置的にスタンプ印字されたもの以外で、印刷された「Made In Occupied Japan」表記の鈴木バイオリン製造(梅雄側)のバイオリン・ラベルは存じ上げないので、ネット上で参照可能であれば向学のためにも拝見してみたいです。
ちなみに占領軍規定の1949年12月5日SCAPIN2061では、「Made in Occupied
Japan/Made in Japan/Japan」の3種表示が新たに認められており、型を要する打刻印とは異なり印刷で容易に変更できる紙ラベル等では「Occupied Japan(占領下の日本)」を嫌って変更された輸出メーカーもあったと思われるので、鈴木バイオリンの製品ではどうなのでしょうか。
「Occupied Japan(占領下の日本)」表示に加え製造年の1952年が明記、あるいは1952年を示す製品であれば別ですが、鈴木バイオリン製品に関しての事実認識として当方はかなり不案内です。
最後のコメントには赤角印 ➡️. 検査印では?とあり、妥当性のある考察と思われます。
変更されることなく同じ印を使用していることから、近代の弦楽器等に見られる様な「Inspected by」の様な出荷前の単なる検査印ではなく「Inspected and quality guaranteed by」に近しい、冒頭申し上げた特製品にふさわしい高品質の特製品である証明の様な意味合いと思われますが、であればどのような言葉がスンナリ当てはまるのでしょうね。
その筋の書家の方が見られたら簡単に解読されそうに思いますが、ド素人の当方には皆目見当が付きません。
丁寧な解説ありがとうございます。
様々な角度から解説いただけるので、当方も大変勉強になります。
質問の朱角印は、梅雄氏あるいは当時の工場長が押印されていたのかで少し意味合いが変わる様な気がしていますが、「特」文字に重ねるか周辺に押印されている点からも”丸の内にAtS" 日本風アレンジではなく、特製品である証明の様な意味合いの印である可能性が高いと思われるだけに当方も人名ではない様に思います。
済韻…その可能性も考慮しました。SAIIN VIOLINのラベルにある「済韻之印」と類似性は見られず、既製品への済韻調整済みラベルにある「整調」とも異なる様に思います。
梅雄氏が政吉氏の済韻に対し肯定的であったかは自身には良くわかりません。少なくとも政吉氏なき戦後以降の梅雄氏にとって、済韻を継承されている確証的なものがあるのでしたら見解も変わると思いますが、商業的には済韻継承を前面に押し出す様子もなく、むしろ封印されているかの様な気さえ致します。
亡き父親かつ偉大な師匠の遺産とも言えそうな政吉氏の世界的大発明(当時の宣伝文句)・済韻に対して、戦後の梅雄氏が何か語られている様でしたらとても興味があります。あくまで朱角印がヴァイオリン製造の品質に関連する意味合いと仮定した上での事で、本題の質問の主旨とは異なります。
「確か52年まで占領下ラベルがあります」とは、「Made In Occupied Japan」表示ラベルという事でしょうか。
1947年に輸出貿易再開された際に臨時措置的にスタンプ印字されたもの以外で、印刷された「Made In Occupied Japan」表記の鈴木バイオリン製造(梅雄側)のバイオリン・ラベルは存じ上げないので、ネット上で参照可能であれば向学のためにも拝見してみたいです。
ちなみに占領軍規定の1949年12月5日SCAPIN2061では、「Made in Occupied
Japan/Made in Japan/Japan」の3種表示が新たに認められており、型を要する打刻印とは異なり印刷で容易に変更できる紙ラベル等では「Occupied Japan(占領下の日本)」を嫌って変更された輸出メーカーもあったと思われるので、鈴木バイオリンの製品ではどうなのでしょうか。
「Occupied Japan(占領下の日本)」表示に加え製造年の1952年が明記、あるいは1952年を示す製品であれば別ですが、鈴木バイオリン製品に関しての事実認識として当方はかなり不案内です。
最後のコメントには赤角印 ➡️. 検査印では?とあり、妥当性のある考察と思われます。
変更されることなく同じ印を使用していることから、近代の弦楽器等に見られる様な「Inspected by」の様な出荷前の単なる検査印ではなく「Inspected and quality guaranteed by」に近しい、冒頭申し上げた特製品にふさわしい高品質の特製品である証明の様な意味合いと思われますが、であればどのような言葉がスンナリ当てはまるのでしょうね。
その筋の書家の方が見られたら簡単に解読されそうに思いますが、ド素人の当方には皆目見当が付きません。
[55928]
Re: 鈴木バイオリンの特製品ラベル表記について
投稿日時:2025年05月31日 02:27
投稿者:松毬(ID:MpIUOGk)
メロンパンさんが示されますように、
朱角印の意味を考えると、特製ラベルの「特」に重ねて捺印されている様に見えることから次の1).~3).辺りと思います
1).特製であることを証明するかのようであること
2).特製の品質を有することを示すかのようなこと
3).特製の検査済みと、ただの記し
何れも意味は似て大差ないようですがが、、、。
私が ”丸の内にAtS" 日本風アレンジと言ったのは、特製の話しではなく、政吉や梅雄の本人製作品の楽器のことです。
ですが戦前から捺印する慣習が既にあったことは分かり、朱印に繋がります。この場合、意味合い的には上 1).の方になると思います。ただ、上 1).なら、その際の文字は「特製」と思いますが、捺印の文字は「特製」ではないでしょう
戦前の済韻研究所作、SAIIN VIOLINのラベルにある「済韻之印」とも全く異なります。済韻の初めは、既製品へ済韻調整済みラベルを別に貼っていました。バイオリンではトレブルサイドの f字の下辺りに、、
この意味合いなら上 2).の方が近いと思いますが、印の文字は、済韻調整を示す「済韻」でも「調整」でもないでしょう
済韻は、2009年に戦前の済韻研究所製作モデルとして復刻するまで、公には語られません。戦後、梅雄は済韻手法は秩に伝えるものではないと言っています。初めの済韻とは、平たく電気仕掛けの弾き込み効果のことで、梅雄はこの原理に確証を持てなかった様です。
特製に済韻処理を施したとすることは疑問ですが、印の文字はもしも「済韻」等ではなくても、その記しに何らか文字を当てていたなら、秩が登場する'64年ごろ無くなる合理性は残します
梅雄は、政吉が亡くなると研究所を引き継いだ弟の士郎の作品(@松本)を参考にし、戦後の作風は政吉よりから士郎よりに変わります。
士郎は、済韻を語らず何らか楽器研究し、松本では量産機械を持たず職人と手生産しています。'60年には済韻派の政吉とは異なる型を定め、見た目は当時の日本的な今一でもちゃんとした楽器を作っています。
そこで、梅雄が士郎に習い、済韻が歴史に埋もれることは自然になります
特製は、工場制手工業の楽器で、工業制プロセスでの検査印を残すのありそうです。それは 上 3).で、その際は何らか文字を記しとして残したでしょう。普通は、印の文字は「検査」辺りですが、かけはなれていますからね
印の文字はかなり簡単な方で、色々な篆書体があっても象形文字は、コツをつかむと何となく読めたりするのですが、、、残念ですが朱角印は、???
上 1).2).3).にはもう一つカラクリがあるようですね
占領下ラベルは、記憶で恐縮で「、、 Occupied 、、、1952」です。'52年が占領最後の年なので、買おうか思案した記憶です。楽器としては、、、で、記念としても持たなければとは思えず、、、です。
占領印刷されたラベルは'52年はありませんが、ネットに残っているのでは?と思うので別途探してみます
朱角印の意味を考えると、特製ラベルの「特」に重ねて捺印されている様に見えることから次の1).~3).辺りと思います
1).特製であることを証明するかのようであること
2).特製の品質を有することを示すかのようなこと
3).特製の検査済みと、ただの記し
何れも意味は似て大差ないようですがが、、、。
私が ”丸の内にAtS" 日本風アレンジと言ったのは、特製の話しではなく、政吉や梅雄の本人製作品の楽器のことです。
ですが戦前から捺印する慣習が既にあったことは分かり、朱印に繋がります。この場合、意味合い的には上 1).の方になると思います。ただ、上 1).なら、その際の文字は「特製」と思いますが、捺印の文字は「特製」ではないでしょう
戦前の済韻研究所作、SAIIN VIOLINのラベルにある「済韻之印」とも全く異なります。済韻の初めは、既製品へ済韻調整済みラベルを別に貼っていました。バイオリンではトレブルサイドの f字の下辺りに、、
この意味合いなら上 2).の方が近いと思いますが、印の文字は、済韻調整を示す「済韻」でも「調整」でもないでしょう
済韻は、2009年に戦前の済韻研究所製作モデルとして復刻するまで、公には語られません。戦後、梅雄は済韻手法は秩に伝えるものではないと言っています。初めの済韻とは、平たく電気仕掛けの弾き込み効果のことで、梅雄はこの原理に確証を持てなかった様です。
特製に済韻処理を施したとすることは疑問ですが、印の文字はもしも「済韻」等ではなくても、その記しに何らか文字を当てていたなら、秩が登場する'64年ごろ無くなる合理性は残します
梅雄は、政吉が亡くなると研究所を引き継いだ弟の士郎の作品(@松本)を参考にし、戦後の作風は政吉よりから士郎よりに変わります。
士郎は、済韻を語らず何らか楽器研究し、松本では量産機械を持たず職人と手生産しています。'60年には済韻派の政吉とは異なる型を定め、見た目は当時の日本的な今一でもちゃんとした楽器を作っています。
そこで、梅雄が士郎に習い、済韻が歴史に埋もれることは自然になります
特製は、工場制手工業の楽器で、工業制プロセスでの検査印を残すのありそうです。それは 上 3).で、その際は何らか文字を記しとして残したでしょう。普通は、印の文字は「検査」辺りですが、かけはなれていますからね
印の文字はかなり簡単な方で、色々な篆書体があっても象形文字は、コツをつかむと何となく読めたりするのですが、、、残念ですが朱角印は、???
上 1).2).3).にはもう一つカラクリがあるようですね
占領下ラベルは、記憶で恐縮で「、、 Occupied 、、、1952」です。'52年が占領最後の年なので、買おうか思案した記憶です。楽器としては、、、で、記念としても持たなければとは思えず、、、です。
占領印刷されたラベルは'52年はありませんが、ネットに残っているのでは?と思うので別途探してみます
[55929]
Re: 鈴木バイオリンの特製品ラベル表記について
投稿日時:2025年05月31日 06:51
投稿者:松毬(ID:JWJnFoM)
申し訳ありませんが、リンク先、閲覧できますか?
[55111]
Http://www5.plala.or.jp/mandolin-cafe/20-masakichi.html
参考 : 済韻の記述が同居するブログURL[55102]
1897年前後ごろのラベル
https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/24/5fd3b07e10680bacb3e1438894491f0d.jpg
訂正 1900年(←誤1897年) (共益商社)
https://blog.goo.ne.jp/1971913/e/784bf64bf03ae7b0a04fa473f670090c
1905年前後ごろのラベル
https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/11/2272dfc29c6d6260adee076c8cc94ac5.jpg
1907年頃か?(鈴木楽器店)
https://blog.goo.ne.jp/1971913/e/2d04073df1e4a7609548d105b06d5207
他済韻記事[38498]
https://hdl.handle.net/20.500.14094/0100183511
新 ⬆️
旧http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=00078675&TYPE=HTML_FILE&POS=1
[55111]
[55111]
Re: スズキの高級バイオリン 1000番台について教えて下さい。
投稿日時:2024年05月27日 20:55
投稿者:松毬(ID:VpKIRzA)
>[55104]
>なお、1915年前後ごろのラベル、(16メダル)
>https://oshiete.chunichi.co.jp/pro/372/column/1283/index.img/column1_l.jpg
→ 注) 楽器No.35は、1920年以降のもの
☞ Http://www5.plala.or.jp/mandolin-cafe/20-masakichi.html [47023]では、
ハッキリと分かる日英博(1910(明43))の名誉大賞メダルが写されている。
[MASAKICHI SUZUKI]と書かれたラベルは数が多く、不詳も含め11種以上ある。
(1).1888年後、共益商社に納めた3機種のラベルは不明 ・・・・1種以上
(2).コロンブス大博のメダルがセンターのもの・・・・・・・・・3種以上
-1).1897年前後の[ 3メダル M.SUZUKI NIHON ]2種
a): 生産の型式、A3010など
b): 販売の品番、No.6 など、表されたもの
-2).1910年前後の[14メダル MASAKICHI.SUZUKI. NIPPON ]
(11メダルなど、その他、Variation不詳 )
(3).日英博の大賞メダルがセンターのもの ・・・・・・・・・・・2種以上
-1).1915年前後の[16メダル MASAKICHI.SUZUKI. NIPPON ]
-2).1920年の後の[ 同上に JAPAN ]
(その他、Variation不詳 )
(※.上記の様に常にセンターは重要なメダルが置かれている。
特製は、No.1~13と同ラベルに、No.特1など表記。
米国独立記念万博(1926)の金賞メダル以降その他不詳。)
(4).1926(昭 1)年後、[ Masakichi Suzuki ]のもの・・・・・・・・4種
-1).1926年のプロモーション・展示楽器に用いたもの
-2).上の販売(1927年以降)に用いたラベル3種
(5).1930(昭 5)年後、鈴木バイオリン製造株式会社のもの ・・・・1種以上
-1).[ SUZUKI VIOLIN KOJO 筆記体Masakichi Suzuki ]
(その他、Variation不詳 )
(6).1933(昭8)年後[ SUZUKI MASAKICHI SAIINSHO ]のもの・・1種以上
((7).その他・・・ ? 種、不詳)
>なお、1915年前後ごろのラベル、(16メダル)
>https://oshiete.chunichi.co.jp/pro/372/column/1283/index.img/column1_l.jpg
→ 注) 楽器No.35は、1920年以降のもの
☞ Http://www5.plala.or.jp/mandolin-cafe/20-masakichi.html [47023]では、
ハッキリと分かる日英博(1910(明43))の名誉大賞メダルが写されている。
[MASAKICHI SUZUKI]と書かれたラベルは数が多く、不詳も含め11種以上ある。
(1).1888年後、共益商社に納めた3機種のラベルは不明 ・・・・1種以上
(2).コロンブス大博のメダルがセンターのもの・・・・・・・・・3種以上
-1).1897年前後の[ 3メダル M.SUZUKI NIHON ]2種
a): 生産の型式、A3010など
b): 販売の品番、No.6 など、表されたもの
-2).1910年前後の[14メダル MASAKICHI.SUZUKI. NIPPON ]
(11メダルなど、その他、Variation不詳 )
(3).日英博の大賞メダルがセンターのもの ・・・・・・・・・・・2種以上
-1).1915年前後の[16メダル MASAKICHI.SUZUKI. NIPPON ]
-2).1920年の後の[ 同上に JAPAN ]
(その他、Variation不詳 )
(※.上記の様に常にセンターは重要なメダルが置かれている。
特製は、No.1~13と同ラベルに、No.特1など表記。
米国独立記念万博(1926)の金賞メダル以降その他不詳。)
(4).1926(昭 1)年後、[ Masakichi Suzuki ]のもの・・・・・・・・4種
-1).1926年のプロモーション・展示楽器に用いたもの
-2).上の販売(1927年以降)に用いたラベル3種
(5).1930(昭 5)年後、鈴木バイオリン製造株式会社のもの ・・・・1種以上
-1).[ SUZUKI VIOLIN KOJO 筆記体Masakichi Suzuki ]
(その他、Variation不詳 )
(6).1933(昭8)年後[ SUZUKI MASAKICHI SAIINSHO ]のもの・・1種以上
((7).その他・・・ ? 種、不詳)
参考 : 済韻の記述が同居するブログURL[55102]
[55102]
Re: スズキの高級バイオリン 1000番台について教えて下さい。
投稿日時:2024年05月25日 18:14
投稿者:松毬(ID:VpKIRzA)
[55080]訂正:和暦では1895(明28)年、1900(明33)年、1903(明36)年
1897年前後ごろのラベル、3コイン(表裏)とは、次のコインをラベルに上げたもの
https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/24/5fd3b07e10680bacb3e1438894491f0d.jpg
訂正 1900年(←誤1897年) (共益商社)
https://blog.goo.ne.jp/1971913/e/784bf64bf03ae7b0a04fa473f670090c より
1905年前後ごろのラベルは次の11コイン(表裏)をラベルに上げたものであろう。パリのメダルはなく、パリ万博でメダルを得なかったと分る
https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/11/2272dfc29c6d6260adee076c8cc94ac5.jpg
1907年頃か?(鈴木楽器店)
https://blog.goo.ne.jp/1971913/e/2d04073df1e4a7609548d105b06d5207 より
また、すでに政吉は、次等の推薦状を得ていたことが分る。
東京音楽学校教師:ディットリヒ、及び、アウグスト・ユンカー
同 教授: 幸田延子、及び、安藤幸子
宮内省式部職音楽教師:ウィルヘルム・ドゥブラフチッチ
さらに、日英博覧会(1910(明43))大賞を経て、推薦状(賛辞)もメダルも増える
ヨアヒム氏高弟 : レオポルト・プレミスラフ
東京音楽学校教師:ハインリッヒ・ウェルクマイステル、グスタフ・クローン
手持ちの1915(大4)年前後ごろの楽器をみると、ラベルは日英博のメダルを筆頭に16コイン(裏表)となる
1897年前後ごろのラベル、3コイン(表裏)とは、次のコインをラベルに上げたもの
https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/24/5fd3b07e10680bacb3e1438894491f0d.jpg
訂正 1900年(←誤1897年) (共益商社)
https://blog.goo.ne.jp/1971913/e/784bf64bf03ae7b0a04fa473f670090c より
1905年前後ごろのラベルは次の11コイン(表裏)をラベルに上げたものであろう。パリのメダルはなく、パリ万博でメダルを得なかったと分る
https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/11/2272dfc29c6d6260adee076c8cc94ac5.jpg
1907年頃か?(鈴木楽器店)
https://blog.goo.ne.jp/1971913/e/2d04073df1e4a7609548d105b06d5207 より
また、すでに政吉は、次等の推薦状を得ていたことが分る。
東京音楽学校教師:ディットリヒ、及び、アウグスト・ユンカー
同 教授: 幸田延子、及び、安藤幸子
宮内省式部職音楽教師:ウィルヘルム・ドゥブラフチッチ
さらに、日英博覧会(1910(明43))大賞を経て、推薦状(賛辞)もメダルも増える
ヨアヒム氏高弟 : レオポルト・プレミスラフ
東京音楽学校教師:ハインリッヒ・ウェルクマイステル、グスタフ・クローン
手持ちの1915(大4)年前後ごろの楽器をみると、ラベルは日英博のメダルを筆頭に16コイン(裏表)となる
1897年前後ごろのラベル
https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/24/5fd3b07e10680bacb3e1438894491f0d.jpg
訂正 1900年(←誤1897年) (共益商社)
https://blog.goo.ne.jp/1971913/e/784bf64bf03ae7b0a04fa473f670090c
1905年前後ごろのラベル
https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/11/2272dfc29c6d6260adee076c8cc94ac5.jpg
1907年頃か?(鈴木楽器店)
https://blog.goo.ne.jp/1971913/e/2d04073df1e4a7609548d105b06d5207
他済韻記事[38498]
[38498]
Re: 鈴木政吉氏製作のバイオリンについて
投稿日時:2008年10月21日 22:27
投稿者:catgut(ID:GUQGISA)
念のため確認したところ、鈴木政吉がピエトロ・グァルネリを手にしたのは1930年代ではなく大正15年(1926年)でした。ドイツのハイパーインフレのためドイツ人のご婦人から安く入手したことを鈴木鎮一は自伝に書いています。
以下に鈴木政吉が開発し、現在まで秘密にされている音質改善技術「済韻」についての記事があります。
ttp://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=00078675&TYPE=HTML_FILE&POS=1
即ちこれ等の楽器の新しい中は音が堅く且音量が乏しく本来の妙音を発するには数十年の永い間弾き込まねばならなかったのを、鈴木翁が約一ヶ月の工程により容易にかくの如き妙音を出すことが出来るようになったので鈴木翁はこの方法を「済韻」と名づけ一般の求めに応ずることにな
った。翁は語る「永い間弾き込まれた名作の楽器の胴や棹には微妙な木理の変化がある筈です。これに私が着眼したのです」
なお、無量塔蔵六氏は「済韻」については否定的な見解です。
私もぜひ無量塔氏の著作を世に出して頂きたいと思います。日本で最高レベルの価値のあるヴァイオリン関連書籍になると思います。
以下に鈴木政吉が開発し、現在まで秘密にされている音質改善技術「済韻」についての記事があります。
ttp://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=00078675&TYPE=HTML_FILE&POS=1
即ちこれ等の楽器の新しい中は音が堅く且音量が乏しく本来の妙音を発するには数十年の永い間弾き込まねばならなかったのを、鈴木翁が約一ヶ月の工程により容易にかくの如き妙音を出すことが出来るようになったので鈴木翁はこの方法を「済韻」と名づけ一般の求めに応ずることにな
った。翁は語る「永い間弾き込まれた名作の楽器の胴や棹には微妙な木理の変化がある筈です。これに私が着眼したのです」
なお、無量塔蔵六氏は「済韻」については否定的な見解です。
私もぜひ無量塔氏の著作を世に出して頂きたいと思います。日本で最高レベルの価値のあるヴァイオリン関連書籍になると思います。
https://hdl.handle.net/20.500.14094/0100183511
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旧http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=00078675&TYPE=HTML_FILE&POS=1
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