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楽器・付属品 5 Comments
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モダンヴァイオリン

投稿日時:2019年07月14日 22:11
投稿者:pochi(ID:MiRFlFk)
モダンヴァイオリンの定義って、どうなっているのでしょうか?

最古は、
J.F.Pressenda(1777ー1854)以降「バロックヴァイオリン」として作られた楽器では無く、「モダン仕様」で作られた楽器だった筈です。

モダン改造屋として有名だった人としては、弓問屋としても有名だった、
J.B.Vuillaume(1798ー1875)が居ました。
弓製作者、ヴァイオリン製作者/問屋としても、有名です。

最新は、
◆製作者が物故している楽器
◆製作者が物故している楽器で、50/60年以上経過している楽器
◆製作者が物故している楽器で、第二次世界大戦終戦以前に作られた楽器

何れなのでしょうか?
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Re: モダンヴァイオリン

投稿日時:2019年08月31日 22:31
投稿者:松毬(ID:VXQoUQ)
こんにちは。


 人によって主張に差があると存じます。そんな中で、当方は、次と理解しています。


 ざっくりとした時代区分で、オールド(当時のピリオド/オリジナル楽器含む)、モダン、新作と分けられます。

 俗にモダンとは、
A-0).19世紀初頭以降(※1.プレッセンダが目安)の製作のもの
B-1).WWⅡまでに製作されたもの
-2).また、WWⅡ前から製作をつづけ、戦後も活躍して存命している製作者の楽器
 (※2.戦後製作を始め、既に亡くなった方は新作)


 で、これで云うと、ポッジ、マリノ・カピキオーニ、マリオ・カピキオーニはモダンだが、グチャルディは新作に位置づけられ、勿論、モラッシ(G.B.M)、ビソロッティ(M.F.B.)は新作です。

 異論がありそうですが、悪しからず。
[54220]

Re: モダンヴァイオリン

投稿日時:2021年05月26日 14:13
投稿者:松毬(ID:KVQChZA)
久しく補足

 モダンとは、フランス革命等による近代化による歴史上の結果のことで、この結果、音楽もホールも楽器も近代化し改まったのは有名です。バイオリンもモダン仕様がパリで登場したとされ、現在のバイオリン仕様はこのパリジャン仕様です。

 それまでの、特にイタリアのバロック楽器からモダン改造屋としてJ.B.Vuillaume(1798-1875)やN.Lupot(1758-1824)の名が上がります。

 フランスで最初にモダン仕様の楽器を製作したのは、N.Lupotと云うことなのかな??

 また、J.F.Pressenda(1777-1854)はイタリアでバロック楽器を作ったとされますが、パリジャン仕様の楽器製作もしたと云うことなのかな??
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Re: モダンヴァイオリン

投稿日時:2021年06月24日 00:54
投稿者:松毬(ID:EBCBaTM)
 楽器の辞典などをいろいろと調べてみた。
・モダン楽器の定義は、考え方や見解にバラつきがある。
・一般的に、歴史区分、様式区分、地域区分などがある。

 様式変化を地域区分でみると、
モダン楽器の初めは、フランスで、イギリスが続き、これにイタリアは遅れて切り替わる。

 モダンのフレンチでは、
1800年ごろN.Lupot、F.L.Pique(1758-1822)以降の作者はモダン楽器と言えよう。
 モダンのイタリアンは、
1820年ごろG.F.Pressenda以降の作者であり、フランスとは、少し時期がずれます。

 先駆けて、フランスでは、
1780年ごろにモダン化に向かっており、F.X.Tourte(1747-1835)の弓改良と並行して、コリカー(?-?: L.Guersan(c.1700-1770)の弟子)、Lupot(Francois & Nicolas)親子がモダン化へ楽器開拓し、PiqueやC.F.Gand、J.F.Aldric(1765-1843)等がリードし、1820年代にはほぼ全てモダンに替わっている。

1780年代ごろの世界初のモダン楽器は、恐らくV.T.Panormo(c.1734-1813)であろうと推定がある。 Panormoがパリで最初のストラディバリウスのコピーをしたのは、パリにストラディバリウスを背負ってきたG.B.Viotti(1755-1824)の依頼と思われている。 Panormoが1789年ごろロンドンに移ったからか、Viottiは1792年からロンドン公演を始めているため、Panormoの協力をTourteのモダン弓同様に受けたと思われている。
 だが、確定証拠が出ていない。

 コリカーらは、リノベーションの専門で、フランス国内のバロックをグラフティングらによりモダン化した。
 --こちらは、オールドフレンチである。

 イタリアバロックの多くは、パリ、ロンドンで、モダンリノベーションした楽器に変わった。
 --これらは、オールドイタリアンである。


 イタリアでは、伝統的なバロックを作成しておりモダン化は最も遅い。
1850年ごろにG.A.Ceruti(1785-1860)や G.A.Rocca(1807-1865)辺りからモダン化が始まり、急速に切り替わったと見られる。後期ガダニーニや後期ガリアーノなど追随したと見られ、その際に内枠製作法は全滅したと思われる。 その後、後継のクレモナ・ミラノのAntoniazziやトリノのRinaldi等が主流になって、イタリアでパリジャン仕様の楽器を作っていく。
 但し、Pressenda(1777-1854)は、例外的にモダンとされる。
Pressendaは、バロック楽器のみ作成したがフレンチ技法を用いていたため、リノベーションされた楽器ではオールドイタリアンとは見えず、立派なパリジャン仕様のモダンイタリアン様式として扱われる。
 初期のG.A.Cerutiや G.A.Roccaも同様である。

 ※モダンの終わり(コンテンポラリー、現代、新作等の初め)は、また今度。これがもっと微妙なところがある。
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Re: モダンヴァイオリン

投稿日時:2021年06月25日 20:34
投稿者:松毬(ID:EBCBaTM)
 あのコツィオ伯爵には、モダン楽器でもエピソードがあります。
  (Ignazio Alessandro Cozio di Salabue : 1755-1840)

 1776年に、コツィオ伯爵はG.B.グアダニーニとのバイオリンに係る契約を解消し、代わってモンテガッツア親子と契約します。
伯爵は、その頃ミラノで子のモンテガッツア(フランセスコとカルロ兄弟)にて、モダンへのリノベーションを試みたが、イタリアでは失敗してモダン仕様はお蔵入りしました。
伯爵は、一方でパリのコリカーが素晴らしいモダンリノベーションをしたと知って、これは激賞しています。パリでのモダンの成功を認めます。

 しかし、ミラノで一度失敗したモダン仕様は、トリノのビィオッティがパリに伝えて実現した可能性は残されます。

・イタリアでは、失敗したハズのモンテガッツアが、モダン化に最も貢献したメーカーとされています。???。
・モンテガッツアのミラノのお店は、とても有名で多様な人が出入りし、名手パガニーニの師匠アレッサンドロ・ロッラなどもその一人です。また、伯爵がトリノの商人を通してストラディバリが子のパオロに残したストラドを得たことを承知しています。
・同じトリノにいたビィオッティに、トリノの商人、G.M.アンセルミとのコンタクトが無かったと言えません。

 1782年に、ビィオッティはデビュー公演でパリを訪れた時、トルテにオーダーしてモダン弓を得たのだから、モダンのバイオリンはパノルモにオーダーしたとする話がでます。
 ビィオッティは、ストラドの複製を作らせたとされており、ストラドを奏でて大成功したためなのかモダン楽器では初めからストラディバリ型??が普及したかの様に言われます。

 ただの伝説なのか? もし、この伝説が本当なら、
 歴史上のモダンは18世紀末イタリアで開発されたことに変わります。
 この辺り、真相が楽しみなところですよね!!
[54301]

Re: モダンヴァイオリン

投稿日時:2021年07月01日 15:46
投稿者:松毬(ID:OANkSFI)
 先の伝説には、G.B.Guadagnini(1711-1786)の影が、続きとしてあります。ご周知のとおりガダニーニはトリノで最期を迎えます。

 コツィオ伯爵は、ガダニーニやアンセルミを通して、プニャーニとビオッティ等が、頻繁に偽のAmatiラベルに張り替え、その楽器を弟子等に広めたことを知るようです。トリノに新しくできた彼らのお店にもビオッティ等とその楽器が出入りしたことが伺えます。
 また、ミラノのモンテガッツアは、ガダニーニの孫弟子でした。モダンは、ガダニーニによるのかと妄想するところです。

当時、トリノでは、100年前からのカッパのアマティ型楽器が普及しており、新しくストラド型で素晴らしいガダニーニでも簡単には売れなかったようです。しかし、ガダニーニは新型を作ることは周知されたでしょう。

なお、ガダニーニは、ストラディバリの弟子とラベルに書いていたものの、実は弟子ではなかったのです。えぇっ!!って、おまけがあります。伯爵は、ストラド製作道具を得て製作再生を考えており、この道具の使用をストラディバリの弟子のハズのガダニーニに勧めて再生を図ったものの、ガダニーニは固辞しました。


 1771年、ガダニーニは、パルマ公国を去り、楽器製作者が乏しいトリノに来ます。バイオリンに夢中な少年コツィオ伯爵も軍事学校に入りにトリノに来ます。間もなく二人は出会ったでしょう。
 1773年、若き伯爵(18才)は、老いたガダニーニ(62才)が伯爵の為に、バイオリンの製作とコンサルティングをする契約をして、またアンセルミに委託してコツィオの弦楽器商会を作ります。
 1775年、伯爵は、ガダニーニの仲介で、ストラディバリの末っ子のパオロが亡くなった時に、遺産のストラド楽器10丁ほどと製作道具等も手に入れます。そこで、ストラド製作再生が夢となり、また、ストラド”メシア”も手にしました。
 1776年、伯爵は、ガダニーニの契約を終え、モンテガッツア親子と契約しますが、ガダニーニに50丁ほど楽器の追加発注もした。 ビオッティは、宮廷礼拝堂楽団に正規採用されます。

 モダンに係って、前回先に示した通りです。
この後4年間がベールに隠されており、興味があるところです。

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