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弦楽器のイントネーションとアンサンブル
投稿日時:2007年11月10日 16:57
投稿者:スガラボット(ID:QkhEczA)
別スレッドの「重音3度のイントネーション」に関連する話題なのでそちらで発言すべきとも思いましたが、スレ主のcocoさんの元の質問から話題が乖離しすぎるのでこちらで議論させて頂くことにします。
元のスレッドの議論ではバイオリンや弦楽四重奏で重音または和音を弾くとき、へマン著の「弦楽器のイントネーション」の弦楽四重奏の例を引きながら、上の音をピタゴラス律などの旋律的音律で弾き下の音はそれに純正3度または6度で和音を付けるというのが大方のの合意であるように理解しました。
ピタゴラス音律は世界中で昔から琴のような弦楽器の音律として採用され、その旋律姓が良いことが認められています。ただこの音律はハーモニーの観点からは濁りが大きく単旋律の歌以外ではあまり用いられません。現在通常用いられる音律はオクターブを12の半音に均等に等比分割した平均律が主となっています。平均律の5度はピタゴラス5度に比べて1.96セント狭いもののかなり近い値であり、平均律はピタゴラス音律に準じた良好な旋律姓を有するとされています。とはいえ元々がLog2の1/12という無理数の等比列であるためどの和音も完全な響和が得られる筈はなく、特に長三度・単三度の和音を純正にとるには-13.69セント、+15.64セントもずらす必要があります。
重音やアンサンブルにおいてハーモニーを美しく響かせるには、旋律に随伴する3度なり6度なりの音を純正に近くとる必要があり、「重音3度の下の音や2ndVn/Va等の中声部の音はそのように弾くべし」というのが上記の結論ですが、一人で弾く重音の場合はまあそれで困らないとしても、アンサンブルで2ndVn/Vaなどの中声部を弾く立場としては非常に辛いものがあります。なぜならこれらのパートは主旋律があっての随伴音であり、この随伴音のみを旋律として弾くと随分調子外れな歌に聞こえるからです。即ち、主旋律と対旋律という旋律ラインとしての関係は成立し難くなります。
旋律を弾く人から見れば、「俺は美しく歌うからおまえら下々はそれに付けろ」でいいのかも知れませんが、中声部を弾く方もいつもその立場でいいというわけではなく、時には主旋律も廻ってくるのですから、その分析やら切替えが大変で、結局いつも音程に悩み続けることになります。ただ別スレッドの結論のように、今日の日本ではアンサンブルをする場合、プロもアマも関係なくこの考え方が主流となっているように思われます。(そう、僕らビオラ弾きの悩みの一つはここにあるのです。)
ところで先程のピタゴラス音律と平均律の話にも共通するのですが、バイオリンのチューニングをするとき、今時完全5度で4本とも合わせる人はいないと思います。それはA線からD線、G線と低くなるに従って5度が少しずつ広くなっていき平均律からもずれてしまうからです。それでチューニングするとき先生からも少し狭めに合わせるように指導されますが、普通一般的には、ほぼ平均律に合わせるようにチューニングしていることと思います。特にピアノと合わせるときは、殆どの場合ピアノが平均律で調律されているからです。ただ平均律のチューニングだとG線の開放弦に対してE線の開放弦が高すぎてハモらないばかりか、楽器の4本の弦が同時に共鳴する倍音関係にないため、楽器全体の響きが少し損しているように思います。
これを解決するため、ソロや弦楽アンサンブルの場合には調弦を完全5度より少し狭めに合わせることがあります。この手法は弦楽器のの響きを良くすると同時に、弦楽四重奏のレッスンでよく言われる「ビオラとチェロの低弦は少し高めにチューニングするように」という教えとも符合しています。少し高めに合わせた低弦のG音やC音がバイオリンのE線とハモりやすくなるのです。
このチューニングをもう少しシステマティックに行うと、話は古典音律のヴェルクマイスター1のIIIやキルンベルがーIIIといった音律につながっていくのです。こういう古典音律の話を持ち出すとチェンバロのチューニングか古楽お宅の範疇だと考えられがちですが、実はヨーロッパの名門オーケストラや四重奏団には夫々独自にこの様なチューニングシステム(音律)が備わっているのではないかと思われます。よく日本人の演奏家がヨーロッパのオーケストラ団員になると、演奏する音程がはじめの何年かそれまで自分が持っていた音程感と異なることに苦労するという話を聴きますが、それが一つの証だとは言えないでしょうか。
ハイドンがから、モーツアルト、ベートーベン、そしてロマン派に至る音楽の系譜の中では調性感に溢れる曲が創られてきました。この調性感というのは12の音名それぞれの長調・短調合わせて24の調性が独自に有する旋律とハーモニーの色彩感を言います。よく言われるニ長調は祭典的だとかハ短調が悲劇的だとかいうあれのことです。しかし、実は平均律で演奏すると長調と短調の差は勿論ありますが、調の差はピッチの差でしかなく、そこに調毎に異なる共通の色彩感といったものの存在を感じる人は少ない筈です。この調性感はハイドンやモーツアルトが愛好したミーントーン(中全音律)からロマン派に至る音楽に用いられたヴェルクマイスターやキルンベルガー等の古典音律で演奏するときに始めて明確になる概念だと言えます。音律の古典という言葉のイメージとは裏腹にしっかりロマン派の時代まで継承されていたのです。
一つの調で一曲が終わるなら純正律で調律して演奏できます。しかし、途中で転調があると純正律では対応できなくなってしまいます。そこで、一回の調律で各調に対応できるように考え出されたのがこれらの古典音律です。1オクターブに12の鍵盤を用いて、全ての調で和音を純正に響かせることは元々無理なので、不響和になってしまう各音のピッチを少しずつ調整して不快感の少ない美しい響きになるように工夫したのです。これらの音律は一般的に調号(♯や♭)が少ない調では和音が平明に響き、調号が増えるに従って和音に緊張感が加わって旋律性に勝った色彩感になるとされています。この様に演奏に用いる音律と調性感はと切っても切れない関係にあるのです。
A線に比べてD線、G線とC線を平均律より夫々3.5~3.9セントずつ狭めにチューニングすると、低弦は夫々前述のキルンベルがーIII(KB)及びヴェルクマイスター1のIII(VM)になります。またE線をA線に比べて3.5セント狭めにするとKM、完全5度でチューニングするとVMになります。現在はこれらの古典音律をセットできるチューナーがかなり安価に販売されているので、そのつもりになればすぐ試してみることが出来ます。
Vnではよく分からないかも知れませんが、一度このどちらかに調弦してVaなりVcなりをアルバン・ベルクSQやイタリアSQのCDと一緒に弾いてみてください。それぞれのSQがどの音律を採用しているのか正確なところは判りませんが、これと同じ傾向の音律を用いて演奏していることが実感できます。平均律でチューニングしたVaやVcでは決して彼らのハーモニーを共有できないことがお分かりになると思います。(僕がABQとVMで合わせると開放弦のC音のみ自分の方が高すぎる感じがしますから、VMより多分KBの方が近いのだろうと思います。)
弦楽四重奏を演る人は、是非一度こうした音律で各楽器をチューニングしてアンサンブルしてみることをお勧めします。必ずや新しいハーモニーの世界を発見することと思います。こうすれば、それぞれのパートの旋律性も明確で、ハーモニーも純正とは少し異なるかも知れませんが美しい響きを体感することが出来ます。ロマン派なまでの音楽に現れる調性感はこうした古典音律を用いて演奏することによってはじめて現代に蘇らせることが出来るのです。そしてこういう音律で演奏する何よりの歓びは、これまでいつも旋律ラインに従属しなければならなかった随伴音を弾くパートが対等な立場で活き活きとアンサンブル出来るようになることです。
元のスレッドの議論ではバイオリンや弦楽四重奏で重音または和音を弾くとき、へマン著の「弦楽器のイントネーション」の弦楽四重奏の例を引きながら、上の音をピタゴラス律などの旋律的音律で弾き下の音はそれに純正3度または6度で和音を付けるというのが大方のの合意であるように理解しました。
ピタゴラス音律は世界中で昔から琴のような弦楽器の音律として採用され、その旋律姓が良いことが認められています。ただこの音律はハーモニーの観点からは濁りが大きく単旋律の歌以外ではあまり用いられません。現在通常用いられる音律はオクターブを12の半音に均等に等比分割した平均律が主となっています。平均律の5度はピタゴラス5度に比べて1.96セント狭いもののかなり近い値であり、平均律はピタゴラス音律に準じた良好な旋律姓を有するとされています。とはいえ元々がLog2の1/12という無理数の等比列であるためどの和音も完全な響和が得られる筈はなく、特に長三度・単三度の和音を純正にとるには-13.69セント、+15.64セントもずらす必要があります。
重音やアンサンブルにおいてハーモニーを美しく響かせるには、旋律に随伴する3度なり6度なりの音を純正に近くとる必要があり、「重音3度の下の音や2ndVn/Va等の中声部の音はそのように弾くべし」というのが上記の結論ですが、一人で弾く重音の場合はまあそれで困らないとしても、アンサンブルで2ndVn/Vaなどの中声部を弾く立場としては非常に辛いものがあります。なぜならこれらのパートは主旋律があっての随伴音であり、この随伴音のみを旋律として弾くと随分調子外れな歌に聞こえるからです。即ち、主旋律と対旋律という旋律ラインとしての関係は成立し難くなります。
旋律を弾く人から見れば、「俺は美しく歌うからおまえら下々はそれに付けろ」でいいのかも知れませんが、中声部を弾く方もいつもその立場でいいというわけではなく、時には主旋律も廻ってくるのですから、その分析やら切替えが大変で、結局いつも音程に悩み続けることになります。ただ別スレッドの結論のように、今日の日本ではアンサンブルをする場合、プロもアマも関係なくこの考え方が主流となっているように思われます。(そう、僕らビオラ弾きの悩みの一つはここにあるのです。)
ところで先程のピタゴラス音律と平均律の話にも共通するのですが、バイオリンのチューニングをするとき、今時完全5度で4本とも合わせる人はいないと思います。それはA線からD線、G線と低くなるに従って5度が少しずつ広くなっていき平均律からもずれてしまうからです。それでチューニングするとき先生からも少し狭めに合わせるように指導されますが、普通一般的には、ほぼ平均律に合わせるようにチューニングしていることと思います。特にピアノと合わせるときは、殆どの場合ピアノが平均律で調律されているからです。ただ平均律のチューニングだとG線の開放弦に対してE線の開放弦が高すぎてハモらないばかりか、楽器の4本の弦が同時に共鳴する倍音関係にないため、楽器全体の響きが少し損しているように思います。
これを解決するため、ソロや弦楽アンサンブルの場合には調弦を完全5度より少し狭めに合わせることがあります。この手法は弦楽器のの響きを良くすると同時に、弦楽四重奏のレッスンでよく言われる「ビオラとチェロの低弦は少し高めにチューニングするように」という教えとも符合しています。少し高めに合わせた低弦のG音やC音がバイオリンのE線とハモりやすくなるのです。
このチューニングをもう少しシステマティックに行うと、話は古典音律のヴェルクマイスター1のIIIやキルンベルがーIIIといった音律につながっていくのです。こういう古典音律の話を持ち出すとチェンバロのチューニングか古楽お宅の範疇だと考えられがちですが、実はヨーロッパの名門オーケストラや四重奏団には夫々独自にこの様なチューニングシステム(音律)が備わっているのではないかと思われます。よく日本人の演奏家がヨーロッパのオーケストラ団員になると、演奏する音程がはじめの何年かそれまで自分が持っていた音程感と異なることに苦労するという話を聴きますが、それが一つの証だとは言えないでしょうか。
ハイドンがから、モーツアルト、ベートーベン、そしてロマン派に至る音楽の系譜の中では調性感に溢れる曲が創られてきました。この調性感というのは12の音名それぞれの長調・短調合わせて24の調性が独自に有する旋律とハーモニーの色彩感を言います。よく言われるニ長調は祭典的だとかハ短調が悲劇的だとかいうあれのことです。しかし、実は平均律で演奏すると長調と短調の差は勿論ありますが、調の差はピッチの差でしかなく、そこに調毎に異なる共通の色彩感といったものの存在を感じる人は少ない筈です。この調性感はハイドンやモーツアルトが愛好したミーントーン(中全音律)からロマン派に至る音楽に用いられたヴェルクマイスターやキルンベルガー等の古典音律で演奏するときに始めて明確になる概念だと言えます。音律の古典という言葉のイメージとは裏腹にしっかりロマン派の時代まで継承されていたのです。
一つの調で一曲が終わるなら純正律で調律して演奏できます。しかし、途中で転調があると純正律では対応できなくなってしまいます。そこで、一回の調律で各調に対応できるように考え出されたのがこれらの古典音律です。1オクターブに12の鍵盤を用いて、全ての調で和音を純正に響かせることは元々無理なので、不響和になってしまう各音のピッチを少しずつ調整して不快感の少ない美しい響きになるように工夫したのです。これらの音律は一般的に調号(♯や♭)が少ない調では和音が平明に響き、調号が増えるに従って和音に緊張感が加わって旋律性に勝った色彩感になるとされています。この様に演奏に用いる音律と調性感はと切っても切れない関係にあるのです。
A線に比べてD線、G線とC線を平均律より夫々3.5~3.9セントずつ狭めにチューニングすると、低弦は夫々前述のキルンベルがーIII(KB)及びヴェルクマイスター1のIII(VM)になります。またE線をA線に比べて3.5セント狭めにするとKM、完全5度でチューニングするとVMになります。現在はこれらの古典音律をセットできるチューナーがかなり安価に販売されているので、そのつもりになればすぐ試してみることが出来ます。
Vnではよく分からないかも知れませんが、一度このどちらかに調弦してVaなりVcなりをアルバン・ベルクSQやイタリアSQのCDと一緒に弾いてみてください。それぞれのSQがどの音律を採用しているのか正確なところは判りませんが、これと同じ傾向の音律を用いて演奏していることが実感できます。平均律でチューニングしたVaやVcでは決して彼らのハーモニーを共有できないことがお分かりになると思います。(僕がABQとVMで合わせると開放弦のC音のみ自分の方が高すぎる感じがしますから、VMより多分KBの方が近いのだろうと思います。)
弦楽四重奏を演る人は、是非一度こうした音律で各楽器をチューニングしてアンサンブルしてみることをお勧めします。必ずや新しいハーモニーの世界を発見することと思います。こうすれば、それぞれのパートの旋律性も明確で、ハーモニーも純正とは少し異なるかも知れませんが美しい響きを体感することが出来ます。ロマン派なまでの音楽に現れる調性感はこうした古典音律を用いて演奏することによってはじめて現代に蘇らせることが出来るのです。そしてこういう音律で演奏する何よりの歓びは、これまでいつも旋律ラインに従属しなければならなかった随伴音を弾くパートが対等な立場で活き活きとアンサンブル出来るようになることです。
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【ご参考】
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Re: 弦楽器のイントネーションとアンサンブル
投稿日時:2007年11月10日 23:23
投稿者:南社(ID:hQUQEZA)
スガラボットさん
> 今時完全5度で4本とも合わせる人はいないと思います。
> それはA線からD線、G線と低くなるに従って5度が少しずつ
> 広くなっていき平均律からもずれてしまうからです。
玉木宏樹先生は完全5度で4本とも合わせると書いていたけど。
> 今時完全5度で4本とも合わせる人はいないと思います。
> それはA線からD線、G線と低くなるに従って5度が少しずつ
> 広くなっていき平均律からもずれてしまうからです。
玉木宏樹先生は完全5度で4本とも合わせると書いていたけど。
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Re: 弦楽器のイントネーションとアンサンブル
投稿日時:2007年11月11日 00:27
投稿者:jack(ID:IRhTIHg)
スガラボットさん、スレッド立ち上げありがとうございました。主題に関しよく纏めておられ特に異論はありません。
ウチのピアノは故平島達司の勧めで30年来ヴェルクマイスターで調律しており、ピアノを含むアンサンブルでは調弦は1本1本ピアノにあわせるようにしております。D線とG線は思い切り高くなりますから弾きこなすには慣れが必要ですが響きの面ではピアノとよく調和します。
一点だけ疑問があります。弦楽四重奏など鍵盤を含まないアンサンブルで古典調律に調弦するというのは初めて聞きました。鍵盤とは違ってどの調にも対応可能な弦楽器でそのような調弦をするメリットがよく理解できません。また、古典調律は弦楽四重奏の演奏現場で一般的に行われてきた事なのでしょうか?
ウチのピアノは故平島達司の勧めで30年来ヴェルクマイスターで調律しており、ピアノを含むアンサンブルでは調弦は1本1本ピアノにあわせるようにしております。D線とG線は思い切り高くなりますから弾きこなすには慣れが必要ですが響きの面ではピアノとよく調和します。
一点だけ疑問があります。弦楽四重奏など鍵盤を含まないアンサンブルで古典調律に調弦するというのは初めて聞きました。鍵盤とは違ってどの調にも対応可能な弦楽器でそのような調弦をするメリットがよく理解できません。また、古典調律は弦楽四重奏の演奏現場で一般的に行われてきた事なのでしょうか?
[35454]
Re: 弦楽器のイントネーションとアンサンブル
投稿日時:2007年11月11日 02:49
投稿者:スガラボット(ID:QkhEczA)
<南社>さん、
> 玉木宏樹先生は完全5度で4本とも合わせると書いていたけど。
僕もあの「お喋りバイオリン」で有名な玉木弘樹氏の本は何冊か読んでいます。一番最近の著書は「音楽革命論」で音楽後進国だったドイツの3Bなどを崇拝するのはやめようなど、なかなか元気のよい(過激な?)論議を展開されていますね。確か玉木氏は純正律音楽による癒しの治療を認知症患者の施設で実践されていたりして、純正な響きの信奉者だったと思うのですが…。ただ元々バイオリンはピタゴラス音律の流れを引く楽器ですから、旋律重視で演奏する場合、完全五度でチューニングするのはそんなに不自然なことではないのでしょう。ただこの調弦でアンサンブルしてハーモニーを問題にすると破綻を来すことになるので僕はつきあいたくないですね。玉木氏がそう言う書き方をされているとすると、何か特定の場面を想定してのことではないかと思うのですが。
<jack>さん、
> 鍵盤とは違ってどの調にも対応可能な弦楽器でそのような調弦をするメリットがよく理解できません。また、古典調律は弦楽四重奏の演奏現場で一般的に行われてきた事なのでしょうか?
実は僕も弦楽四重奏団が意識的にどれか特定の古典音律でチューニングしているという話を本で読んだり聞いたことはありません。元々チェンバロや鍵盤楽器の調律に用いられた古典音律を正確にチューニングするには、昔は「うなり」の数を数えるなど大変時間と手間が掛かる作業であったと伝えられています。その後電子チューナーが実用化されて、徐々に一般的になってきたとはいえ、平均律チューナーも使ったことがない人が大半の弦楽器奏者がそんな面倒なことをしたとは考えられません。たとえあってもごく少数の人達でしょう。ただ元の記事にも書きましたが、弦楽四重奏のレッスンなどでは必ずと言っていいほど、Va/Vcの低弦を高めに調弦するように指導されるのは事実です。
それではどの程度高めに(狭めに)調弦するのが良いかについて、定量的な話はこれまで聴いたことがありません。結局、師から弟子への弦楽演奏技術の伝承はそのような性質のもので、感覚の鋭い弟子だけが身体と耳で覚えていくものでしかないのでしょう。
ですから、名門弦楽四重奏団というのはこういうチューニング手法を、伝承と経験則で自らのものにしていったのだと思います。だから彼らにどの古典音律を使っているのですかと質問しても、答は得られないでしょう。だから僕がABQのCDと合わせて弾いたときヴェルクマイスターでチューニングしたVaで合わせると自分のC音が少し高めに響くと書いたように、彼らの音律はヴェルクマイスターの5度程には狭くない、3セント~3.5セント程度狭い5度かなと推測した次第です。
ただjackさんの発言にある「鍵盤とは違ってどの調にも対応可能な弦楽器で…」とありますが、これが大変なのです。確かに、弦楽器は理屈的には指をずらせばどんな音程でもとれるのは事実ですが、こういう事を考えないでアンサンブルすると、内声を担当するパートは平均律などで演奏される主旋律にハモる3度/6度の和音を付けろという哀しい事態になるわけです。
弦楽器弾きなら誰でも知っていますが平均律で調弦して、例えばGの開放弦にハモるD線1の指でE音を弾いて、次の拍子で同じD線のE音とA線の開放弦を弾くとすると、これを純正にハモらせるためには、最初のE音は平均律から-13.69セント、次のE音は+1.96セント<合計で都合15.65セントずらす必要があるわけです。こんなこと一々やっていてアンサンブルになりますか?
ですから今回の僕の提言は、名門カルテットはアンサンブルを美しく響かせるため、彼らが身体で覚えた、古典音律に似た独自の音律を持っている事実を認識し、我々はそれを模倣するに当たって、鍵盤楽器で用いられている古典音律を適用してみてはどうかと言う結構過激な内容となっています。そう言う提案を僕らの仲間がこれを実践してみた結果、かなりの効果があることを実感したのでここで紹介していると言うわけです。
> 玉木宏樹先生は完全5度で4本とも合わせると書いていたけど。
僕もあの「お喋りバイオリン」で有名な玉木弘樹氏の本は何冊か読んでいます。一番最近の著書は「音楽革命論」で音楽後進国だったドイツの3Bなどを崇拝するのはやめようなど、なかなか元気のよい(過激な?)論議を展開されていますね。確か玉木氏は純正律音楽による癒しの治療を認知症患者の施設で実践されていたりして、純正な響きの信奉者だったと思うのですが…。ただ元々バイオリンはピタゴラス音律の流れを引く楽器ですから、旋律重視で演奏する場合、完全五度でチューニングするのはそんなに不自然なことではないのでしょう。ただこの調弦でアンサンブルしてハーモニーを問題にすると破綻を来すことになるので僕はつきあいたくないですね。玉木氏がそう言う書き方をされているとすると、何か特定の場面を想定してのことではないかと思うのですが。
<jack>さん、
> 鍵盤とは違ってどの調にも対応可能な弦楽器でそのような調弦をするメリットがよく理解できません。また、古典調律は弦楽四重奏の演奏現場で一般的に行われてきた事なのでしょうか?
実は僕も弦楽四重奏団が意識的にどれか特定の古典音律でチューニングしているという話を本で読んだり聞いたことはありません。元々チェンバロや鍵盤楽器の調律に用いられた古典音律を正確にチューニングするには、昔は「うなり」の数を数えるなど大変時間と手間が掛かる作業であったと伝えられています。その後電子チューナーが実用化されて、徐々に一般的になってきたとはいえ、平均律チューナーも使ったことがない人が大半の弦楽器奏者がそんな面倒なことをしたとは考えられません。たとえあってもごく少数の人達でしょう。ただ元の記事にも書きましたが、弦楽四重奏のレッスンなどでは必ずと言っていいほど、Va/Vcの低弦を高めに調弦するように指導されるのは事実です。
それではどの程度高めに(狭めに)調弦するのが良いかについて、定量的な話はこれまで聴いたことがありません。結局、師から弟子への弦楽演奏技術の伝承はそのような性質のもので、感覚の鋭い弟子だけが身体と耳で覚えていくものでしかないのでしょう。
ですから、名門弦楽四重奏団というのはこういうチューニング手法を、伝承と経験則で自らのものにしていったのだと思います。だから彼らにどの古典音律を使っているのですかと質問しても、答は得られないでしょう。だから僕がABQのCDと合わせて弾いたときヴェルクマイスターでチューニングしたVaで合わせると自分のC音が少し高めに響くと書いたように、彼らの音律はヴェルクマイスターの5度程には狭くない、3セント~3.5セント程度狭い5度かなと推測した次第です。
ただjackさんの発言にある「鍵盤とは違ってどの調にも対応可能な弦楽器で…」とありますが、これが大変なのです。確かに、弦楽器は理屈的には指をずらせばどんな音程でもとれるのは事実ですが、こういう事を考えないでアンサンブルすると、内声を担当するパートは平均律などで演奏される主旋律にハモる3度/6度の和音を付けろという哀しい事態になるわけです。
弦楽器弾きなら誰でも知っていますが平均律で調弦して、例えばGの開放弦にハモるD線1の指でE音を弾いて、次の拍子で同じD線のE音とA線の開放弦を弾くとすると、これを純正にハモらせるためには、最初のE音は平均律から-13.69セント、次のE音は+1.96セント<合計で都合15.65セントずらす必要があるわけです。こんなこと一々やっていてアンサンブルになりますか?
ですから今回の僕の提言は、名門カルテットはアンサンブルを美しく響かせるため、彼らが身体で覚えた、古典音律に似た独自の音律を持っている事実を認識し、我々はそれを模倣するに当たって、鍵盤楽器で用いられている古典音律を適用してみてはどうかと言う結構過激な内容となっています。そう言う提案を僕らの仲間がこれを実践してみた結果、かなりの効果があることを実感したのでここで紹介していると言うわけです。
[35456]
Re: 弦楽器のイントネーションとアンサンブル
投稿日時:2007年11月11日 06:52
投稿者:jack(ID:IRhTIHg)
スガラボットさん、回答ありがとうございます。
『現代の弦楽四重奏団でヴェルクマイスターなどの古典調律に調弦する団体や文献は見当たらないが、実践ではヴィオラとチェロの低弦は高めに合わせる』と理解しましたが宜しいでしょうか。
別スレに書きましたが、へマン著の「弦楽器のイントネーション」では、『1stVnはピュタゴラス律、2ndVnはその旋律に対して純正3度、6度でハーモニーをつける』という説明をしていました。
又、以前、月刊雑誌「ストリング」に米国著名カルテットのヴィオリストが『自分の音がその調の第何音かを常に気をつけて和声付けする』という趣旨のことを書いていました。こういった分析と練習を地道に実行するのが優れたアンサンブルだと思います。
具体的数字で示しますと、例えば長調の第3音は旋律(ピュタゴラス律)では408セント、和声付け(純正律)では386セントでその差は22セントもあります。これは数セント狭い5度調弦にしてカバーできる範囲ではありません。ヴァイオリンから転向した経験の浅いヴィオリストが弾き慣れたピュタゴラス律で弾き飛ばすとカルテットになりません。
従って、調弦がどうあれ、純正の和声付けの意識がない限り、カルテットに於ける純正なハーモニーは得られないのではないでしょうか?
『現代の弦楽四重奏団でヴェルクマイスターなどの古典調律に調弦する団体や文献は見当たらないが、実践ではヴィオラとチェロの低弦は高めに合わせる』と理解しましたが宜しいでしょうか。
別スレに書きましたが、へマン著の「弦楽器のイントネーション」では、『1stVnはピュタゴラス律、2ndVnはその旋律に対して純正3度、6度でハーモニーをつける』という説明をしていました。
又、以前、月刊雑誌「ストリング」に米国著名カルテットのヴィオリストが『自分の音がその調の第何音かを常に気をつけて和声付けする』という趣旨のことを書いていました。こういった分析と練習を地道に実行するのが優れたアンサンブルだと思います。
具体的数字で示しますと、例えば長調の第3音は旋律(ピュタゴラス律)では408セント、和声付け(純正律)では386セントでその差は22セントもあります。これは数セント狭い5度調弦にしてカバーできる範囲ではありません。ヴァイオリンから転向した経験の浅いヴィオリストが弾き慣れたピュタゴラス律で弾き飛ばすとカルテットになりません。
従って、調弦がどうあれ、純正の和声付けの意識がない限り、カルテットに於ける純正なハーモニーは得られないのではないでしょうか?
[35476]
Re: 弦楽器のイントネーションとアンサンブル
投稿日時:2007年11月12日 17:58
投稿者:スガラボット(ID:l1cQQwA)
<jack>さん、
jackさん個人の見解は判りましたが、僕の提言をそのように総括されると少し話が違うような気がします。
> へマン著の『1stVnはピュタゴラス律、2ndVnはその旋律に対して純正3度、6度でハーモニーをつける』
この本の説明に対しては疑問があります。僕はへマン氏がどのような方なのか良くは存じませんが、少なくともカルテット奏者として演奏活動されていた人だったとは思えません。ピタゴラス律で旋律を弾くバイオリニストはいますが、それはソリストとして自分の旋律ラインを浮かび上がらせるために行うのであって、オーケストラ伴奏とソリストの組合せはあり得るかも知れませんが、弦楽四重奏の音楽にはなりえないと思います。僕なら1stVnがピタゴラス音律で弾き、他のパートはそれに合わせるように要求されるなら、そんなSQからは直ぐに逃げ出すでしょう。ただSQの場合でも例えば旋律ラインの導音を高めにとる場合はあり得ると思います。曲想によってそういう効果を狙うことはあるにしても、アンサンブル一般として成立するようには思えません。これは著名カルテットのレコードを注意深く聴いてみれば分かります。
> 長調の第3音は旋律(ピュタゴラス律)では408セント、和声付け(純正律)では386セントでその差は22セントもあります。これは数セント狭い5度調弦にしてカバーできる範囲ではありません。
先程も書いたように408セントで弾く旋律に純正に長三度和音を付けることはないと思いますので、408セントは別とします。ただしヴェルクマイスター1のⅢではA音に対して完全5度でE音を合わせるので、402セントは有りです。ただjackさんのこれに対して数セント狭い5度調弦でカバーできる範囲ではないとのご指摘ですが、例えばA線に対してD線、G線、C線と3.9セントずつ三回狭めに合わせるとC線は約12セント程高くなる計算ですから、純正ではないにしてもこのC-Eの関係は美しく響く許容範囲内に入ってきますす。この時のC-Eの関係は純正律に対して、A-Eを完全5度でとるヴェルクマイスター1のⅢで3.8セント差、3.5セント狭くするキルンベルガー3では差なしのゼロとなるのです。古典音律というのは全ての和音を純正に響かせるものではなくて、不響和な音を美しく聴かせるための誤差配分手法だと言うことを思い出して下さい。
> 米国著名カルテットのヴィオリストが『自分の音がその調の第何音かを常に気をつけて和声付けする』という趣旨のことを書いていました。こういった分析と練習を地道に実行するのが優れたアンサンブルだと思います。…中略… ヴァイオリンから転向した経験の浅いヴィオリストが弾き慣れたピュタゴラス律で弾き飛ばすとカルテットになりません。
アンサンブルの心がけとして、前半の常に和声と響きに注意しながら演奏することに全く異論はありません。ただこれはヴィオリストだけのことではなくて、ヴァイオリニストも弾き慣れたピュタゴラス律で弾き飛ばすとアンサンブルにならないことを心に留めておいてほしいと思います。ヴァイオリン単独でも五度を狭めにチューニングするとソロやソナタが美しい響きで演奏できるようになりますよ。
jackさん個人の見解は判りましたが、僕の提言をそのように総括されると少し話が違うような気がします。
> へマン著の『1stVnはピュタゴラス律、2ndVnはその旋律に対して純正3度、6度でハーモニーをつける』
この本の説明に対しては疑問があります。僕はへマン氏がどのような方なのか良くは存じませんが、少なくともカルテット奏者として演奏活動されていた人だったとは思えません。ピタゴラス律で旋律を弾くバイオリニストはいますが、それはソリストとして自分の旋律ラインを浮かび上がらせるために行うのであって、オーケストラ伴奏とソリストの組合せはあり得るかも知れませんが、弦楽四重奏の音楽にはなりえないと思います。僕なら1stVnがピタゴラス音律で弾き、他のパートはそれに合わせるように要求されるなら、そんなSQからは直ぐに逃げ出すでしょう。ただSQの場合でも例えば旋律ラインの導音を高めにとる場合はあり得ると思います。曲想によってそういう効果を狙うことはあるにしても、アンサンブル一般として成立するようには思えません。これは著名カルテットのレコードを注意深く聴いてみれば分かります。
> 長調の第3音は旋律(ピュタゴラス律)では408セント、和声付け(純正律)では386セントでその差は22セントもあります。これは数セント狭い5度調弦にしてカバーできる範囲ではありません。
先程も書いたように408セントで弾く旋律に純正に長三度和音を付けることはないと思いますので、408セントは別とします。ただしヴェルクマイスター1のⅢではA音に対して完全5度でE音を合わせるので、402セントは有りです。ただjackさんのこれに対して数セント狭い5度調弦でカバーできる範囲ではないとのご指摘ですが、例えばA線に対してD線、G線、C線と3.9セントずつ三回狭めに合わせるとC線は約12セント程高くなる計算ですから、純正ではないにしてもこのC-Eの関係は美しく響く許容範囲内に入ってきますす。この時のC-Eの関係は純正律に対して、A-Eを完全5度でとるヴェルクマイスター1のⅢで3.8セント差、3.5セント狭くするキルンベルガー3では差なしのゼロとなるのです。古典音律というのは全ての和音を純正に響かせるものではなくて、不響和な音を美しく聴かせるための誤差配分手法だと言うことを思い出して下さい。
> 米国著名カルテットのヴィオリストが『自分の音がその調の第何音かを常に気をつけて和声付けする』という趣旨のことを書いていました。こういった分析と練習を地道に実行するのが優れたアンサンブルだと思います。…中略… ヴァイオリンから転向した経験の浅いヴィオリストが弾き慣れたピュタゴラス律で弾き飛ばすとカルテットになりません。
アンサンブルの心がけとして、前半の常に和声と響きに注意しながら演奏することに全く異論はありません。ただこれはヴィオリストだけのことではなくて、ヴァイオリニストも弾き慣れたピュタゴラス律で弾き飛ばすとアンサンブルにならないことを心に留めておいてほしいと思います。ヴァイオリン単独でも五度を狭めにチューニングするとソロやソナタが美しい響きで演奏できるようになりますよ。
[35485]
Re: 弦楽器のイントネーションとアンサンブル
投稿日時:2007年11月12日 23:04
投稿者:アマチュアチェロ弾き(ID:MFdyYyU)
スガラボットさん、このスレにもお邪魔させていただきます。よろしくお願いいたします。
音律は大好きなのでいろいろ書きたいのですが、時間的制約がありますのでもっとも気になった1点だけ。
> へマン著の『1stVnはピュタゴラス律、2ndVnはその旋律に対して純正3度、6度でハーモニーをつける』
これはスガラボットさんのご発言(スレの最初より)ですか? それともjackさんかな?
いずれにせよ、そんなことはありえないと思います。私はその本を読んでいないのですが、本当にそんなことが書かれていたのでしょうか?ピュタゴラス律で演奏される旋律に対して、伴奏は全く切り離して考えるべきだと思いますよ。恐らく『旋律はピュタゴラス律で、伴奏は純正律で』と書いて有ったのではないでしょうか。(私はその言い回しにも抵抗がありますが)
音律は大好きなのでいろいろ書きたいのですが、時間的制約がありますのでもっとも気になった1点だけ。
> へマン著の『1stVnはピュタゴラス律、2ndVnはその旋律に対して純正3度、6度でハーモニーをつける』
これはスガラボットさんのご発言(スレの最初より)ですか? それともjackさんかな?
いずれにせよ、そんなことはありえないと思います。私はその本を読んでいないのですが、本当にそんなことが書かれていたのでしょうか?ピュタゴラス律で演奏される旋律に対して、伴奏は全く切り離して考えるべきだと思いますよ。恐らく『旋律はピュタゴラス律で、伴奏は純正律で』と書いて有ったのではないでしょうか。(私はその言い回しにも抵抗がありますが)
[35486]
Re: 弦楽器のイントネーションとアンサンブル
投稿日時:2007年11月13日 07:34
投稿者:アマチュアチェロ弾き(ID:MFdyYyU)
すみません。よく読まずに書いてしまいました。スガラボットさんのご発言では有りませんでしたね。急いで訂正しようとしましたが、何故か投稿できなくなってしまいました。
改めて最初のスガラボットさんの最初の投稿を読み直しました。その上で書きます。
まず、ヴェルクマイスターやキルンベルガー等の古典音律に対する考え方は全くその通りで、異論を差し挟む余地は無いと思います。しかし、それを弦楽器の調律に適用するというのはいかがなものでしょう。
私は「よく言われるニ長調は祭典的だとかハ短調が悲劇的だとか」というのと、古典音律の色彩感とは別物という見方としています。(但しこれに関しては議論をつめていないので、私が間違っているかもしれません)。それから、ヴェルクマイスターやキルンベルガー等とは異なり、ミーントーン(中全音律)は調性感に違いは無いと思いますがどうでしょう。
それからもう一点、言葉の問題で気になるのですが、文脈からすると『完全五度』ではなく『純正五度』だろうと思います。音律の議論をする場合、そのような微妙な言葉の違いにより議論が紛糾する場合もあると思いますので、書かせていただきました。
改めて最初のスガラボットさんの最初の投稿を読み直しました。その上で書きます。
まず、ヴェルクマイスターやキルンベルガー等の古典音律に対する考え方は全くその通りで、異論を差し挟む余地は無いと思います。しかし、それを弦楽器の調律に適用するというのはいかがなものでしょう。
私は「よく言われるニ長調は祭典的だとかハ短調が悲劇的だとか」というのと、古典音律の色彩感とは別物という見方としています。(但しこれに関しては議論をつめていないので、私が間違っているかもしれません)。それから、ヴェルクマイスターやキルンベルガー等とは異なり、ミーントーン(中全音律)は調性感に違いは無いと思いますがどうでしょう。
それからもう一点、言葉の問題で気になるのですが、文脈からすると『完全五度』ではなく『純正五度』だろうと思います。音律の議論をする場合、そのような微妙な言葉の違いにより議論が紛糾する場合もあると思いますので、書かせていただきました。
[35487]
Re: 弦楽器のイントネーションとアンサンブル
投稿日時:2007年11月13日 15:39
投稿者:スガラボット(ID:l1cQQwA)
<アマチュアチェロ弾き>さま、
僕の書き込みと少しの時間で前後して発言されたようでレスが遅くなりました。以下項目毎に書かせていただきます。
> ピュタゴラス律で演奏される旋律に対して、伴奏は全く切り離して考えるべきだと思いますよ。恐らく『旋律はピュタゴラス律で、伴奏は純正律で』と書いて有ったのではないでしょうか。
僕もそのご意見に全く賛成です。ただハイドンの弦楽四重奏「皇帝」2楽章を例に説明されているのなら旋律と伴奏として切り離して考えられるとは思えませんが…。
> 私は「よく言われるニ長調は祭典的だとかハ短調が悲劇的だとか」というのと、古典音律の色彩感とは別物という見方としています。
「調性感」が「古典音律の色彩感」とは別物であるのかどうか、僕も専門家ではないのでよく判りません。ミーントーントは#と♭等の調性記号が2~3個以下の調で三度が純正に響和するように、五度を犠牲にして配置された音律ですから、それらの調の間では色彩感にあまり差がないと思います。ところで、もしアマチュアチェロ弾きさんも認めておられるように古典音律に伴う(調毎に固有な響きの緊張感に基づく)色彩感と「調性感」の間に関係がないのなら「調性感」って何なんでしょう。もしそれがピッチの差に基づくものなら現代の平均律にも同じように適用できると思いますが、僕が感覚音痴なのか自分では判りません。それに250年程前はAのピッチが415Hz程度だったとすると今の440(442)Hzに比べて約半音低かった訳で、それで当時と今とが同じ調性感を云々するのは変ですよね。
> 文脈からすると『完全五度』ではなく『純正五度』だろうと思います。
済みません、その通りです。僕自身がこの二つの言葉を混同して使用しておりました。『完全五度』と言う言葉は音楽用語として存在しないのかな。
> しかし、それを弦楽器の調律に適用するというのはいかがなものでしょう。
<スレ主の意見>
このご意見が今、日本の音楽界では大多数意見だということは承知しております。それに対するアンチテーゼとして僕はこのスレッドを建てたのですから。ただ僕はベキ論でこの議論を始めたわけではありません。「何とか仲間と演る弦楽四重奏を美しく響かせるようにしたい」これが唯一最大の目的でした。それでヨーロッパの著名弦楽四重奏団のCDと合わせて弾いてみるなどする中から、どうも秘密の一つは彼らの調弦にあるようだと気付いたのです。前にも書きましたが、弦楽四重奏のレッスンを受けると必ず「狭めに調弦」するように指導されます。しかし、ではそれがどの程度かと言うことについては具体的には教えてくれません。その「程度」を求めて色々試行錯誤を重ねるうちに、それはどうも古典音律に近いものらしいことが判ってきました。こうしてかれこれ1年以上、仲間とのカルテットを通じて実践してきた結果、かなりの確信が持てたため、こうしてこの掲示板で発言するに至ったわけです。
日本の音楽界では今、平均律で演奏するのが業界の常識になっています。学校や先生から教わるのもそうです。それに音楽学校で教えるバイオリン奏法はソリスト向けの奏法ですから、ピタゴラス音律に近い平均律の旋律的な美しさを優先するため、古典音律の話は出てきません。前に一度TVで、女流バイオリニストの、すごく綺麗にハモったモーツアルトのVnコンチェルトを聴いたことがありますが、綺麗にハモりすぎて、肝心のソロの演奏があまり浮き出て聞こえて来なかった経験があります。別スレッドで下にかけるのが正しい、いや上下均等だと議論の華やかなヴィブラート奏法もそうですが、ソリストにはソリストの奏法があるのです。
アンサンブルにはアンサンブルの奏法があって然るべきだと思いますが、平均律重視の今の音楽界で古楽以外に古典音律が登場する機会はありません。唯一の例外が先程の室内楽のレッスンで「狭めの調弦」と言われる、これだけなのです。こうした環境の中でアンサンブルで古典音律によるチューニングなどと言えば、仕事をさせてもらえなくなります。
ただこうした環境にあっても、結果さえ良ければいいので、静かに黙って実践している人はいます。よくバイオリンリサイタルなんかで演奏の前にちょこっとだけ調弦するときの五度がやけに狭く感じた経験がある人はいませんか? アレは演奏家がその効果を知っていて、意識的にやっているのです。 でも人に悟られないように、そっと一瞬だけで終わらせるようにします。 平均律の五度が純正五度に対して狭く聞こえる程度が「髪の毛一本」ほどなら、古典音律の狭い五度は感覚的には「髪の毛三本」くらいと言うのが平均的な人間の感覚ではないでしょうか。 この五度は緊張感があって少し背中がゾクッと感じるかも知れませんが、でも五度として許されない程ではないはずです。 それでブラームス以前のソナタを演るときは仮にピアノが平均律で調律されていても、このようにソロバイオリンの五度を少し狭くするだけで美しく響きます。
前の発言でも書いたようにヨーロッパの著名弦楽四重奏団は意識的に狭めの五度でチューニングしていますが、彼らはそれを古典音律(的)だと意識していないようにも思います。伝統に基づく経験則、そういう位置付けではないでしょうか。従って、もし僕の提言に賛同される場合でも、あまり他人に吹聴しないで、仲間内だけでそっとおやりになることをお勧めします。
僕の書き込みと少しの時間で前後して発言されたようでレスが遅くなりました。以下項目毎に書かせていただきます。
> ピュタゴラス律で演奏される旋律に対して、伴奏は全く切り離して考えるべきだと思いますよ。恐らく『旋律はピュタゴラス律で、伴奏は純正律で』と書いて有ったのではないでしょうか。
僕もそのご意見に全く賛成です。ただハイドンの弦楽四重奏「皇帝」2楽章を例に説明されているのなら旋律と伴奏として切り離して考えられるとは思えませんが…。
> 私は「よく言われるニ長調は祭典的だとかハ短調が悲劇的だとか」というのと、古典音律の色彩感とは別物という見方としています。
「調性感」が「古典音律の色彩感」とは別物であるのかどうか、僕も専門家ではないのでよく判りません。ミーントーントは#と♭等の調性記号が2~3個以下の調で三度が純正に響和するように、五度を犠牲にして配置された音律ですから、それらの調の間では色彩感にあまり差がないと思います。ところで、もしアマチュアチェロ弾きさんも認めておられるように古典音律に伴う(調毎に固有な響きの緊張感に基づく)色彩感と「調性感」の間に関係がないのなら「調性感」って何なんでしょう。もしそれがピッチの差に基づくものなら現代の平均律にも同じように適用できると思いますが、僕が感覚音痴なのか自分では判りません。それに250年程前はAのピッチが415Hz程度だったとすると今の440(442)Hzに比べて約半音低かった訳で、それで当時と今とが同じ調性感を云々するのは変ですよね。
> 文脈からすると『完全五度』ではなく『純正五度』だろうと思います。
済みません、その通りです。僕自身がこの二つの言葉を混同して使用しておりました。『完全五度』と言う言葉は音楽用語として存在しないのかな。
> しかし、それを弦楽器の調律に適用するというのはいかがなものでしょう。
<スレ主の意見>
このご意見が今、日本の音楽界では大多数意見だということは承知しております。それに対するアンチテーゼとして僕はこのスレッドを建てたのですから。ただ僕はベキ論でこの議論を始めたわけではありません。「何とか仲間と演る弦楽四重奏を美しく響かせるようにしたい」これが唯一最大の目的でした。それでヨーロッパの著名弦楽四重奏団のCDと合わせて弾いてみるなどする中から、どうも秘密の一つは彼らの調弦にあるようだと気付いたのです。前にも書きましたが、弦楽四重奏のレッスンを受けると必ず「狭めに調弦」するように指導されます。しかし、ではそれがどの程度かと言うことについては具体的には教えてくれません。その「程度」を求めて色々試行錯誤を重ねるうちに、それはどうも古典音律に近いものらしいことが判ってきました。こうしてかれこれ1年以上、仲間とのカルテットを通じて実践してきた結果、かなりの確信が持てたため、こうしてこの掲示板で発言するに至ったわけです。
日本の音楽界では今、平均律で演奏するのが業界の常識になっています。学校や先生から教わるのもそうです。それに音楽学校で教えるバイオリン奏法はソリスト向けの奏法ですから、ピタゴラス音律に近い平均律の旋律的な美しさを優先するため、古典音律の話は出てきません。前に一度TVで、女流バイオリニストの、すごく綺麗にハモったモーツアルトのVnコンチェルトを聴いたことがありますが、綺麗にハモりすぎて、肝心のソロの演奏があまり浮き出て聞こえて来なかった経験があります。別スレッドで下にかけるのが正しい、いや上下均等だと議論の華やかなヴィブラート奏法もそうですが、ソリストにはソリストの奏法があるのです。
アンサンブルにはアンサンブルの奏法があって然るべきだと思いますが、平均律重視の今の音楽界で古楽以外に古典音律が登場する機会はありません。唯一の例外が先程の室内楽のレッスンで「狭めの調弦」と言われる、これだけなのです。こうした環境の中でアンサンブルで古典音律によるチューニングなどと言えば、仕事をさせてもらえなくなります。
ただこうした環境にあっても、結果さえ良ければいいので、静かに黙って実践している人はいます。よくバイオリンリサイタルなんかで演奏の前にちょこっとだけ調弦するときの五度がやけに狭く感じた経験がある人はいませんか? アレは演奏家がその効果を知っていて、意識的にやっているのです。 でも人に悟られないように、そっと一瞬だけで終わらせるようにします。 平均律の五度が純正五度に対して狭く聞こえる程度が「髪の毛一本」ほどなら、古典音律の狭い五度は感覚的には「髪の毛三本」くらいと言うのが平均的な人間の感覚ではないでしょうか。 この五度は緊張感があって少し背中がゾクッと感じるかも知れませんが、でも五度として許されない程ではないはずです。 それでブラームス以前のソナタを演るときは仮にピアノが平均律で調律されていても、このようにソロバイオリンの五度を少し狭くするだけで美しく響きます。
前の発言でも書いたようにヨーロッパの著名弦楽四重奏団は意識的に狭めの五度でチューニングしていますが、彼らはそれを古典音律(的)だと意識していないようにも思います。伝統に基づく経験則、そういう位置付けではないでしょうか。従って、もし僕の提言に賛同される場合でも、あまり他人に吹聴しないで、仲間内だけでそっとおやりになることをお勧めします。
[35488]
Re: 弦楽器のイントネーションとアンサンブル
投稿日時:2007年11月13日 21:17
投稿者:アマチュアチェロ弾き(ID:MFdyYyU)
スガラボットさん
>ただハイドンの弦楽四重奏「皇帝」2楽章を例に説明されているのなら
えっ、そうなんですか!?微妙ですね。皇帝のどの部分だろ?
いずれにせよ、ピタゴラスに対して純正音程でくっつけてしまったら全体がずり上がってしまいますよね。それにピタゴラスは伴奏と切り離されているからこそ「ピタゴラス」と言えるのではないでしょうか。もしハーモニーを大切にしたいのなら1stに2ndが合わせるのではなく、伴奏を弾いている2ndに1stが合わせるべきでしょう。つまり、1stはピタゴラスではなく、純正律で弾くべきでしょうね。どの部分か分かればもう少し具体的に書けるんだけど。
>「調性感」が「古典音律の色彩感」とは別物であるのかどうか
すみません。私の表現がまずかったせいもあると思いますが、まず私は「調性感」という用語と「色彩感」という用語を区別しているわけではありません。どちらも「各調における色彩感」という意味で使いました。もっと短い適切な用語があればいいのですが、いいのが見つからないのでとりあえずここでは、「調性感」「古典音律の色彩感」としておきましょうか。
さて本題です。「古典音律の色彩感」には各音律毎に長短あわせて24色ずつ存在しますよね。(平均律、ピタゴラス、純正律、ミーントーンは2色)。で、繰り返しますが『ニ長調は祭典的だとかハ短調が悲劇的だとか』が「古典音律の色彩感」とは別物、というのが私の考え方です。スガラボットさんも良くご存知とは思いますが、例えばヴェルクマイスター1-3なんかでは、調号が増えるにつれて色彩感が単調に変化しますよね。和声的な響きから旋律的な響き見たいに。
でも、「調性感」のほうは調号の数に対していかにも「でこぼこ」しています。「和声的な響きから旋律的な響き」では説明できません。では、どう考えるかというと、まず一つ目は、楽器による理由です。鍵盤楽器の場合、白鍵と黒鍵があり各調により弾きやすさが違ってくるでしょう。また、管楽器や弦楽器では出やすい音、出にくい音があり、それらが「調性感」に大きく影響していることは容易に推測でいます。例えば弦楽合奏では、ニ長調が明るく響きますよね。もうひとつは、作曲家の思い込み、です。今ほど弦楽合奏ではニ長調が明るいと書きましたが、そのイメージが鍵盤楽器の曲を作るときにも作用して明るい曲を作ってしまうのではないでしょうか。その結果、本来「調性感」の無いはずの平均律で調律された鍵盤楽器でさえ『ニ長調は明るい』というイメージが出来上がるのではないでしょうか。ベートーベンのハ短調も何かそういうものがあるのかもしれません。作曲家が調に対する何らかの思いがあってそのように曲を作ってしまうから、更にその曲に対する「調性感」が強まるみたいな・・・ このように考えれば「古典音律の色彩感」に頼らなくても、またA音のピッチが変動しようとも、「調性感」は生き延びることが出来ると思いますがどうでしょうか。例え平均律であったとしてもです。
以上は私の全くの創作ですので、皆様方からの突っ込みは自由といたします。
>『完全五度』と言う言葉は音楽用語として存在しないのかな。
いえ、完全五度は音程をあらわす立派な音楽用語でしょう。平均律における完全五度は700centであり、ピタゴラスや純正律におけるそれ、つまり純正五度は約702cent(振動数比が2:3)という感じですかね。むしろ純正五度のほうが俗語でしょう。
>>しかし、それを弦楽器の調律に適用するというのはいかがなものでしょう。
>このご意見が今、日本の音楽界では大多数意見だということは承知しております。
私は『前例が無いから』という理由で否定するという立場は取りません。良ければどんどん取り入れるべきだと思います。しかし私は基本的に鍵盤楽器に比べて弦楽器の演奏精度は、音律を云々出来るほどに高いものとは思っておりません。例え調弦を古典音律に合わせても、それ以外の音(つまり開放弦以外の音)を古典音律で弾けるのかと言う疑問が残ります。また、先に出ましたヴェルクマイスターやキルンベルガー等の古典音律の色彩感の違いは、鍵盤楽器においてのみ何とか確認できる程度のものであり、リアルタイムに音程を作る弦楽器においては事実上不可能と考えます。余談ですが、良く聞かれる言い回しの『旋律はピタゴラスで、和声は純正律で演奏する』というのも、『旋律はピタゴラスっぽく、和声は純正律っぽく」、もっと言えば『旋律はピタゴラスを志向して、和声は純正律を志向して』というくらいにとどめるべきと考えています。もし『私(私たち)は純正律を実践している』という方がおられましたら、はたして2種類の全音や3種類の半音を区別しているのでしょうか?また、二度の和音を「正しく?純正でないように」演奏しておられるのでしょうか?単に音程を純正にしているだけなら、それは純正律で演奏しているわけではありません。純正と純正律とは別です。
>弦楽四重奏のレッスンなどでは必ずと言っていいほど、Va/Vcの低弦を高めに調弦するように指導されるのは事実です。
これは全くその通りだと思います。私の推測ですが、昔どなたか偉い先生がそうおっしゃったのがそのまま受け継がれているのではないかと思います。その講師の方に、どの程度高めになのですか?平均律より高めにですか?などと聞いても、恐らくちゃんとした答えは得られないでしょう。因みに私が以前聞いたときの回答は「ちょっとだよ」でした。
完全五度を702centから狭めることに異議を唱えることはしませんが、一気に696centまで持って行くのではなく、700centくらいで一休みしてはいかがでしょう。
とは言うものの、スガラボットさんが狭い完全五度について何かを「感じて」おられるようなので、それはそれで尊重したいと思っています。
>ただハイドンの弦楽四重奏「皇帝」2楽章を例に説明されているのなら
えっ、そうなんですか!?微妙ですね。皇帝のどの部分だろ?
いずれにせよ、ピタゴラスに対して純正音程でくっつけてしまったら全体がずり上がってしまいますよね。それにピタゴラスは伴奏と切り離されているからこそ「ピタゴラス」と言えるのではないでしょうか。もしハーモニーを大切にしたいのなら1stに2ndが合わせるのではなく、伴奏を弾いている2ndに1stが合わせるべきでしょう。つまり、1stはピタゴラスではなく、純正律で弾くべきでしょうね。どの部分か分かればもう少し具体的に書けるんだけど。
>「調性感」が「古典音律の色彩感」とは別物であるのかどうか
すみません。私の表現がまずかったせいもあると思いますが、まず私は「調性感」という用語と「色彩感」という用語を区別しているわけではありません。どちらも「各調における色彩感」という意味で使いました。もっと短い適切な用語があればいいのですが、いいのが見つからないのでとりあえずここでは、「調性感」「古典音律の色彩感」としておきましょうか。
さて本題です。「古典音律の色彩感」には各音律毎に長短あわせて24色ずつ存在しますよね。(平均律、ピタゴラス、純正律、ミーントーンは2色)。で、繰り返しますが『ニ長調は祭典的だとかハ短調が悲劇的だとか』が「古典音律の色彩感」とは別物、というのが私の考え方です。スガラボットさんも良くご存知とは思いますが、例えばヴェルクマイスター1-3なんかでは、調号が増えるにつれて色彩感が単調に変化しますよね。和声的な響きから旋律的な響き見たいに。
でも、「調性感」のほうは調号の数に対していかにも「でこぼこ」しています。「和声的な響きから旋律的な響き」では説明できません。では、どう考えるかというと、まず一つ目は、楽器による理由です。鍵盤楽器の場合、白鍵と黒鍵があり各調により弾きやすさが違ってくるでしょう。また、管楽器や弦楽器では出やすい音、出にくい音があり、それらが「調性感」に大きく影響していることは容易に推測でいます。例えば弦楽合奏では、ニ長調が明るく響きますよね。もうひとつは、作曲家の思い込み、です。今ほど弦楽合奏ではニ長調が明るいと書きましたが、そのイメージが鍵盤楽器の曲を作るときにも作用して明るい曲を作ってしまうのではないでしょうか。その結果、本来「調性感」の無いはずの平均律で調律された鍵盤楽器でさえ『ニ長調は明るい』というイメージが出来上がるのではないでしょうか。ベートーベンのハ短調も何かそういうものがあるのかもしれません。作曲家が調に対する何らかの思いがあってそのように曲を作ってしまうから、更にその曲に対する「調性感」が強まるみたいな・・・ このように考えれば「古典音律の色彩感」に頼らなくても、またA音のピッチが変動しようとも、「調性感」は生き延びることが出来ると思いますがどうでしょうか。例え平均律であったとしてもです。
以上は私の全くの創作ですので、皆様方からの突っ込みは自由といたします。
>『完全五度』と言う言葉は音楽用語として存在しないのかな。
いえ、完全五度は音程をあらわす立派な音楽用語でしょう。平均律における完全五度は700centであり、ピタゴラスや純正律におけるそれ、つまり純正五度は約702cent(振動数比が2:3)という感じですかね。むしろ純正五度のほうが俗語でしょう。
>>しかし、それを弦楽器の調律に適用するというのはいかがなものでしょう。
>このご意見が今、日本の音楽界では大多数意見だということは承知しております。
私は『前例が無いから』という理由で否定するという立場は取りません。良ければどんどん取り入れるべきだと思います。しかし私は基本的に鍵盤楽器に比べて弦楽器の演奏精度は、音律を云々出来るほどに高いものとは思っておりません。例え調弦を古典音律に合わせても、それ以外の音(つまり開放弦以外の音)を古典音律で弾けるのかと言う疑問が残ります。また、先に出ましたヴェルクマイスターやキルンベルガー等の古典音律の色彩感の違いは、鍵盤楽器においてのみ何とか確認できる程度のものであり、リアルタイムに音程を作る弦楽器においては事実上不可能と考えます。余談ですが、良く聞かれる言い回しの『旋律はピタゴラスで、和声は純正律で演奏する』というのも、『旋律はピタゴラスっぽく、和声は純正律っぽく」、もっと言えば『旋律はピタゴラスを志向して、和声は純正律を志向して』というくらいにとどめるべきと考えています。もし『私(私たち)は純正律を実践している』という方がおられましたら、はたして2種類の全音や3種類の半音を区別しているのでしょうか?また、二度の和音を「正しく?純正でないように」演奏しておられるのでしょうか?単に音程を純正にしているだけなら、それは純正律で演奏しているわけではありません。純正と純正律とは別です。
>弦楽四重奏のレッスンなどでは必ずと言っていいほど、Va/Vcの低弦を高めに調弦するように指導されるのは事実です。
これは全くその通りだと思います。私の推測ですが、昔どなたか偉い先生がそうおっしゃったのがそのまま受け継がれているのではないかと思います。その講師の方に、どの程度高めになのですか?平均律より高めにですか?などと聞いても、恐らくちゃんとした答えは得られないでしょう。因みに私が以前聞いたときの回答は「ちょっとだよ」でした。
完全五度を702centから狭めることに異議を唱えることはしませんが、一気に696centまで持って行くのではなく、700centくらいで一休みしてはいかがでしょう。
とは言うものの、スガラボットさんが狭い完全五度について何かを「感じて」おられるようなので、それはそれで尊重したいと思っています。
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