[32260]
catgut氏の云うところのヴィブラート学習悲喜劇
投稿日時:2007年03月25日 18:03
投稿者:pochi(ID:SBdYcmA)
ヱブ頁上フィールドワーク
ガラミアン受け売り諸頁。
ttp://tcslab.csce.kyushu-u.ac.jp/old-users/t_ito/violin/Vntec/tec11.html
ttp://homepage2.nifty.com/m-nyan/music/violin/016.html
オーボエですが上に掛ける事を推奨している人もいます。
ttp://www.josef-oboe.com/japanese/article/r_s_memo.html
ガラミアン受け売り諸頁。
ttp://tcslab.csce.kyushu-u.ac.jp/old-users/t_ito/violin/Vntec/tec11.html
ttp://homepage2.nifty.com/m-nyan/music/violin/016.html
オーボエですが上に掛ける事を推奨している人もいます。
ttp://www.josef-oboe.com/japanese/article/r_s_memo.html
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3 / 7 ページ [ 63コメント ]
【ご参考】
[32644]
Re: catgut氏の云うところのヴィブラート学習悲喜劇
投稿日時:2007年04月05日 14:03
投稿者:catgut(ID:hHMlcSA)
名無しさま、
重ねて貴重な情報どうもありがとうございます。
Maia Bang Violin Method(全7巻)のうちのどれか、には間違い
ないでしょうか?
Maia Bangには以下の著書があるようです。
Maia Bang violin method, 7 parts, 1919-1925
Maia Bang violin course, 5 parts, 1932-1935
Maia Bang recreation music, 1935
Maia Bang Gingham books, 4 parts, 1936-1937
Ricciの本は1988年初版ですね。
Ruggiero Ricci, Left-Hand Violin Technique (Milwaukee, WI: G. Schirmer, 1988)
私は音程が上ずる心配のために下に向けてかけることは初心者など一部の人には有効かもしれませんが、一般化は難しいと思います。
引用して頂いたアウアーの「練習法」ではアウアーが基準音に対してどう考えていたかは分かりませんが、サドルから駒側に(上に)向けてかけ始めることを想定していたと受け取るのが自然に思われます。
「下派」の七沢八郎氏の本では、練習でも「駒からサドル側」に手を動かす
よう指示しています。
練習法3 (楽器を立ててネックに親指だけ当てて)下より上に向かって
(揺らす運動を)始めてください。
練習法10 第2指(人差し指のこと)で目的の音程を押えたならば、
手の部分を下向の運動に移し、同時に⑦の関節が伸びきって逆にそる
くらいまで伸の運動を行います。
基準音の下にかけるのに下から基準音に向けてかけ始めるのは困難ですから、Maia Bangの本とアウアーの練習法が一致しないのは不思議です。
Maia Bang Violin Methodに記述があるとすると、3巻にイントネーション関係、5巻にフラジオレット関係の記述があるようです。どなたか本書をお持ちの方でヴィブラートと基準音の関係について書いてある巻を確認していただけないでしょうか?
重ねて貴重な情報どうもありがとうございます。
Maia Bang Violin Method(全7巻)のうちのどれか、には間違い
ないでしょうか?
Maia Bangには以下の著書があるようです。
Maia Bang violin method, 7 parts, 1919-1925
Maia Bang violin course, 5 parts, 1932-1935
Maia Bang recreation music, 1935
Maia Bang Gingham books, 4 parts, 1936-1937
Ricciの本は1988年初版ですね。
Ruggiero Ricci, Left-Hand Violin Technique (Milwaukee, WI: G. Schirmer, 1988)
私は音程が上ずる心配のために下に向けてかけることは初心者など一部の人には有効かもしれませんが、一般化は難しいと思います。
引用して頂いたアウアーの「練習法」ではアウアーが基準音に対してどう考えていたかは分かりませんが、サドルから駒側に(上に)向けてかけ始めることを想定していたと受け取るのが自然に思われます。
「下派」の七沢八郎氏の本では、練習でも「駒からサドル側」に手を動かす
よう指示しています。
練習法3 (楽器を立ててネックに親指だけ当てて)下より上に向かって
(揺らす運動を)始めてください。
練習法10 第2指(人差し指のこと)で目的の音程を押えたならば、
手の部分を下向の運動に移し、同時に⑦の関節が伸びきって逆にそる
くらいまで伸の運動を行います。
基準音の下にかけるのに下から基準音に向けてかけ始めるのは困難ですから、Maia Bangの本とアウアーの練習法が一致しないのは不思議です。
Maia Bang Violin Methodに記述があるとすると、3巻にイントネーション関係、5巻にフラジオレット関係の記述があるようです。どなたか本書をお持ちの方でヴィブラートと基準音の関係について書いてある巻を確認していただけないでしょうか?
[32652]
Re: catgut氏の云うところのヴィブラート学習悲喜劇
投稿日時:2007年04月05日 17:15
投稿者:catgut(ID:hHMlcSA)
名無しさま、
MAIA BANGのViolin Methodを実際にチェックしました。ヴィブラートに
ついてはPart Vで解説されていますが、「基準音から下に」という記述は見当たらず、むしろそれに反する記述となっていました。
大変失礼ですが、他の著者の本と取り違えていらっしゃらないでしょうか?
--------------------
MAIA BANG Violin Method Part V Sixth and Seventh Position
P16 Vibrato
FORMATION OF THE VIBRATO
The vibrato is carried out by means of a tremulant movement
of the fingers directed from the nut to the bridge. This movement
results in a very slight deviation from pitch
ヴィブラートの構成
ヴィブラートは指をナットから駒に向けて揺らす動きで行います。
この動きによって非常にわずかに(基準の)音程を逸脱します。
--------------------
明確に「上に向けてかける」としています。また"very slight deviation from pitch"は上に向けてかけるのですから、「上に逸脱する」ないしは「上下に逸脱する」と解釈するのが自然で「下にのみ逸脱する」とは受け取れません。
MAIA BANGが後日考え方を変えた可能性はあると思いますので、なにか情報がありましたら引き続きお願い致します。
MAIA BANGがアウアーの指導を忠実に記録したのであれば、やはりアウアー門下生は「上に向けてかける」と指導されたことが明確になりました。
MAIA BANGのViolin Methodを実際にチェックしました。ヴィブラートに
ついてはPart Vで解説されていますが、「基準音から下に」という記述は見当たらず、むしろそれに反する記述となっていました。
大変失礼ですが、他の著者の本と取り違えていらっしゃらないでしょうか?
--------------------
MAIA BANG Violin Method Part V Sixth and Seventh Position
P16 Vibrato
FORMATION OF THE VIBRATO
The vibrato is carried out by means of a tremulant movement
of the fingers directed from the nut to the bridge. This movement
results in a very slight deviation from pitch
ヴィブラートの構成
ヴィブラートは指をナットから駒に向けて揺らす動きで行います。
この動きによって非常にわずかに(基準の)音程を逸脱します。
--------------------
明確に「上に向けてかける」としています。また"very slight deviation from pitch"は上に向けてかけるのですから、「上に逸脱する」ないしは「上下に逸脱する」と解釈するのが自然で「下にのみ逸脱する」とは受け取れません。
MAIA BANGが後日考え方を変えた可能性はあると思いますので、なにか情報がありましたら引き続きお願い致します。
MAIA BANGがアウアーの指導を忠実に記録したのであれば、やはりアウアー門下生は「上に向けてかける」と指導されたことが明確になりました。
[32687]
Re: catgut氏の云うところのヴィブラート学習悲喜劇
投稿日時:2007年04月05日 21:54
投稿者:一介の数学屋(ID:QQBIIgU)
>>「下に向けてかけ始める」のが楽な人はそれで一向に構いません。
というようなことをお答えになっても、答えになりません。私の書き込みをご確認願います。
------私の書き込み---
過去の事実を突き止めたことが、一般化して現在・未来に当てはまるかどうかは、証拠がありません
中略
ヴァイオリン奏法が変遷しますので、過去の事実だけで今の奏法を論じるのには限界があることを言いたいのです。
--------
上記に無関心でいらっしゃるのはやむを得ないのでしょう。しかし…
「普通の人にとっては「上に向けて」かけ始めるほうが容易と考えるのが自然」
というご主張は立証されていなくとも、catgutさん個人には感覚的に「上に向けて」かけ始めるのが容易であるのは、よく分かりました。それは{感覚}ですから、否定のしようもありません。ただし他の人々の感覚も否定することがないよう希望します。
というようなことをお答えになっても、答えになりません。私の書き込みをご確認願います。
------私の書き込み---
過去の事実を突き止めたことが、一般化して現在・未来に当てはまるかどうかは、証拠がありません
中略
ヴァイオリン奏法が変遷しますので、過去の事実だけで今の奏法を論じるのには限界があることを言いたいのです。
--------
上記に無関心でいらっしゃるのはやむを得ないのでしょう。しかし…
「普通の人にとっては「上に向けて」かけ始めるほうが容易と考えるのが自然」
というご主張は立証されていなくとも、catgutさん個人には感覚的に「上に向けて」かけ始めるのが容易であるのは、よく分かりました。それは{感覚}ですから、否定のしようもありません。ただし他の人々の感覚も否定することがないよう希望します。
[32691]
Re: catgut氏の云うところのヴィブラート学習悲喜劇
投稿日時:2007年04月05日 23:45
投稿者:通りすがり(ID:IBIIcHY)
catgut様
一介の数学者様の書き込み
>というようなことをお答えになっても、答えになりません。
にありますように、catgut様は私や一介の数学者様の発言に対し、きちんと答えていただいていない場合が多いと感じています。
たとえが悪いですが、国会答弁のようです。
レスをされないことも多いのですが、レスの内容が的を得ていない場合が多々あり、こちらとしてはストレスが溜まります。
決して個人攻撃ではありませんので気分を害されたら陳謝いたします。
真摯なお答えをお待ちしております。
で、質問なのですが、
catgut様の検索能力は目を見張るものがあり、脱帽いたしますが、ガラミアン以前は「下に向けてビブラートを掛ける」という指導はなかったのが、ガラミアン以後は増えた(少なくとも日本のバイオリン界を席捲した)とのお説を否定するものではありませんが、それがどんな影響を与えたとお感じでしょうか?極論を言いますと例えばそのために少なくとも日本のバイオリンの発展が10年遅れたとかいう悪影響があったとお感じでしょうか?
一介の数学者様の書き込み
>というようなことをお答えになっても、答えになりません。
にありますように、catgut様は私や一介の数学者様の発言に対し、きちんと答えていただいていない場合が多いと感じています。
たとえが悪いですが、国会答弁のようです。
レスをされないことも多いのですが、レスの内容が的を得ていない場合が多々あり、こちらとしてはストレスが溜まります。
決して個人攻撃ではありませんので気分を害されたら陳謝いたします。
真摯なお答えをお待ちしております。
で、質問なのですが、
catgut様の検索能力は目を見張るものがあり、脱帽いたしますが、ガラミアン以前は「下に向けてビブラートを掛ける」という指導はなかったのが、ガラミアン以後は増えた(少なくとも日本のバイオリン界を席捲した)とのお説を否定するものではありませんが、それがどんな影響を与えたとお感じでしょうか?極論を言いますと例えばそのために少なくとも日本のバイオリンの発展が10年遅れたとかいう悪影響があったとお感じでしょうか?
[32693]
Re: catgut氏の云うところのヴィブラート学習悲喜劇
投稿日時:2007年04月06日 00:06
投稿者:catgut(ID:ORchcIg)
名無しさま、
もう一つ可能性を思いつきました。
私が参照したViolin Method Part Vは原本と思われる全87ページのものです。
ttp://www.amazon.com/Violin-Method-Seven-English-Spanish/dp/B000IFHWX0/ref=sr_1_3/103-7240309-3425431?ie=UTF8&s=books&qid=1175785179&sr=1-3
ところが現在市販されているものはページサイズの都合もあるのでしょうが、なぜか454ページと膨れ上がっており、また過去10年前後に発売されています。
ttp://www.amazon.com/Maia-Bang-Violin-Method-Part/dp/0825832233/ref=sr_1_4/103-7240309-3425431?ie=UTF8&s=books&qid=1175785266&sr=1-4
つまり、現在市販されているものにはオリジナルに加えて「補足」のようなものが追加されている可能性はないでしょうか。
名無しさまがオリジナルをご覧になったのであれば関係ありませんが・・
もう一つ可能性を思いつきました。
私が参照したViolin Method Part Vは原本と思われる全87ページのものです。
ttp://www.amazon.com/Violin-Method-Seven-English-Spanish/dp/B000IFHWX0/ref=sr_1_3/103-7240309-3425431?ie=UTF8&s=books&qid=1175785179&sr=1-3
ところが現在市販されているものはページサイズの都合もあるのでしょうが、なぜか454ページと膨れ上がっており、また過去10年前後に発売されています。
ttp://www.amazon.com/Maia-Bang-Violin-Method-Part/dp/0825832233/ref=sr_1_4/103-7240309-3425431?ie=UTF8&s=books&qid=1175785266&sr=1-4
つまり、現在市販されているものにはオリジナルに加えて「補足」のようなものが追加されている可能性はないでしょうか。
名無しさまがオリジナルをご覧になったのであれば関係ありませんが・・
[32696]
Re: catgut氏の云うところのヴィブラート学習悲喜劇
投稿日時:2007年04月06日 02:35
投稿者:catgut(ID:ORchcIg)
通りすがりさま、
基本認識が違っています。
>少なくとも日本のバイオリン界を席捲した
とはまったく考えていません。当初は「下派」がどの程度の比率なのかわからなかったので「結構いるのかも?」と漠然と思っていました。しかしこの掲示板に書かれている方にも基本的に上下にかけると考えている方は少なからずいらっしゃいますし、ストリング誌2007年3月号の記事によると、芸大でのアンケート結果は「上下派」が「殆んど」とのことです。現に「新しいバイオリン教本」など現在広く使われている教本に「上下に」「上に向けて」かけると書いてあります。この掲示板では上下派の方は私の書き込みにあまりコメントしませんから「異論」のコメントが多くなるのは当然です。しかし上下派の絶対数が少ないというわけではないでしょう。ですから全体的な悪影響はそれほどないと思います。
基本認識が違っています。
>少なくとも日本のバイオリン界を席捲した
とはまったく考えていません。当初は「下派」がどの程度の比率なのかわからなかったので「結構いるのかも?」と漠然と思っていました。しかしこの掲示板に書かれている方にも基本的に上下にかけると考えている方は少なからずいらっしゃいますし、ストリング誌2007年3月号の記事によると、芸大でのアンケート結果は「上下派」が「殆んど」とのことです。現に「新しいバイオリン教本」など現在広く使われている教本に「上下に」「上に向けて」かけると書いてあります。この掲示板では上下派の方は私の書き込みにあまりコメントしませんから「異論」のコメントが多くなるのは当然です。しかし上下派の絶対数が少ないというわけではないでしょう。ですから全体的な悪影響はそれほどないと思います。
[32727]
Re: catgut氏の云うところのヴィブラート学習悲喜劇
投稿日時:2007年04月06日 08:31
投稿者:catgut(ID:ORchcIg)
私は少なくとも1930年頃までは「基準音の下にかける」という指導書は
(ごく影響力の低いものを除いて)存在しないだろうと予想しています。
この予想を覆す情報がありましたら引き続き提供をお願いします。
以下が上記予想の理由です。
・1920年代まではヴィブラートは歌のヴィブラートの模倣という意識が強かったMAIA BANGも「ヴィブラートは歌うようなパッセージにかける」と書いている。歌のヴィブラートの模倣という意識では基準音の片側だけにヴィブラートをかけるという発想につながりにくい。
・Werner Hauckが言及していない
Werner Hauckは1913年生まれのドイツ人ヴァイオリニスト。Hauckはガラミアンが最初に「下にかける」と主張したと指摘。Hauckは多数のヴィブラート関係文献を読破しているため、1930年前後に「下にかける」という説があったのならHauckが見落とすとは考えにくい。
・カール・フレッシュが言及していない
「ヴァイオリン演奏の技法」ではヴィブラートの基本だけで8ページにわたり記述し、回想録でもヴィブラートには多数言及しているが、「下にかける」という説はまったく紹介されていない。
(ごく影響力の低いものを除いて)存在しないだろうと予想しています。
この予想を覆す情報がありましたら引き続き提供をお願いします。
以下が上記予想の理由です。
・1920年代まではヴィブラートは歌のヴィブラートの模倣という意識が強かったMAIA BANGも「ヴィブラートは歌うようなパッセージにかける」と書いている。歌のヴィブラートの模倣という意識では基準音の片側だけにヴィブラートをかけるという発想につながりにくい。
・Werner Hauckが言及していない
Werner Hauckは1913年生まれのドイツ人ヴァイオリニスト。Hauckはガラミアンが最初に「下にかける」と主張したと指摘。Hauckは多数のヴィブラート関係文献を読破しているため、1930年前後に「下にかける」という説があったのならHauckが見落とすとは考えにくい。
・カール・フレッシュが言及していない
「ヴァイオリン演奏の技法」ではヴィブラートの基本だけで8ページにわたり記述し、回想録でもヴィブラートには多数言及しているが、「下にかける」という説はまったく紹介されていない。
[32740]
Re: catgut氏の云うところのヴィブラート学習悲喜劇
投稿日時:2007年04月06日 15:37
投稿者:名無し(ID:NHiTdoU)
catgut様
Maia Bangの教則本については、立ち読みをしただけなので「勘違い」の可能性もあります。すみません。
このスレにおいて、何をディベートしようとしているのかがよく見えてこないのですが、貴兄の主張は
1.ヴィブラートは基準音の下にかけるものと、歴史上初めて表明したのはガラミアンであり、
2.彼の主張には少なくとも部分的に間違いがある。
ということでしょうか?
1つ目の主張に関してはその通りだと思います。しかし、ジェミニアーニの例外を除いて、常時ヴィブラートをかけるのは「品が悪い」と20世紀のはじめまで言われていましたから、「常時かけることを前提とした」ガラミアンのそれと、その前のものを比べることは、余り意味が内容に思われます。
2つ目の主張に関しては「ヴィブラートの最高音部を人は基準恩と認識する。」という部分は現在のリサーチでは完全に見当違いのもであると、考えられています。
いろいろな研究機関の複数の実験をまとめると、
1.長い音の場合は一番高い音と一番低い音の中間を認識する。
2.ヴィブラートはピッチのゆれだけではなく、強弱によるパルスや音色の変化(指の圧力の変化)にも基づいているため、それによっても認識点は変化する。
3.ヴィブラートのサイクルが2回程度の短い音の場合は、音の最後の部分を認識する。
ですから当然「ヴィブラートの高い部分を認識させる」ことも全く可能ではあります。
私の個人的立場はカール・フレッシュが皮肉っぽく「エネスコのヴィブラートはルーマニアのフォルクローレのバイオリン弾きの技術を応用したもの」と批判したのに憤慨して、エネスコが語った言葉に賛成します。
「ヴィブラート奏法はその全てをマスターしなければならない。人間の声と同じように、気分や情感を多種多様に表現する上で、ヴィブラートの種類と頻度を完全に使い分ける必要がある。」
正しいヴィブラートなどというものは存在しませんし、指導法も各生徒の傾向によって変わってきますから、結論付けるほうが不自然ではないでしょうか。
Maia Bangの教則本については、立ち読みをしただけなので「勘違い」の可能性もあります。すみません。
このスレにおいて、何をディベートしようとしているのかがよく見えてこないのですが、貴兄の主張は
1.ヴィブラートは基準音の下にかけるものと、歴史上初めて表明したのはガラミアンであり、
2.彼の主張には少なくとも部分的に間違いがある。
ということでしょうか?
1つ目の主張に関してはその通りだと思います。しかし、ジェミニアーニの例外を除いて、常時ヴィブラートをかけるのは「品が悪い」と20世紀のはじめまで言われていましたから、「常時かけることを前提とした」ガラミアンのそれと、その前のものを比べることは、余り意味が内容に思われます。
2つ目の主張に関しては「ヴィブラートの最高音部を人は基準恩と認識する。」という部分は現在のリサーチでは完全に見当違いのもであると、考えられています。
いろいろな研究機関の複数の実験をまとめると、
1.長い音の場合は一番高い音と一番低い音の中間を認識する。
2.ヴィブラートはピッチのゆれだけではなく、強弱によるパルスや音色の変化(指の圧力の変化)にも基づいているため、それによっても認識点は変化する。
3.ヴィブラートのサイクルが2回程度の短い音の場合は、音の最後の部分を認識する。
ですから当然「ヴィブラートの高い部分を認識させる」ことも全く可能ではあります。
私の個人的立場はカール・フレッシュが皮肉っぽく「エネスコのヴィブラートはルーマニアのフォルクローレのバイオリン弾きの技術を応用したもの」と批判したのに憤慨して、エネスコが語った言葉に賛成します。
「ヴィブラート奏法はその全てをマスターしなければならない。人間の声と同じように、気分や情感を多種多様に表現する上で、ヴィブラートの種類と頻度を完全に使い分ける必要がある。」
正しいヴィブラートなどというものは存在しませんし、指導法も各生徒の傾向によって変わってきますから、結論付けるほうが不自然ではないでしょうか。
[32742]
Re: catgut氏の云うところのヴィブラート学習悲喜劇
投稿日時:2007年04月06日 16:52
投稿者:catgut(ID:ORchcIg)
名無しさま、
再び大変誠実なコメントを頂き感謝致します。
私の立場は大変シンプルです。
「ガラミアン(系)の指導ではヴィブラートは必ず基準音の下に、必ず下に向けてかけ始めなけらばならないとされることがほとんどだが、奏者の好みや音感に従って自由に(基準音に対してどこにでも、上に向けても)かけて構わない」
というものです。
ガラミアンが「ヴィブラート範囲の音程の上限を認識する」と主張しているので、それが誤りであることを示すために、通常はヴィブラート範囲のおよそ中間を認識するというデータを示しているだけで、最終的には奏者の音感で美しく聞えるようにかければいいわけです。
また「必ず下に向けてかけ始めなければならない」という主張が誤りであることを示すためにガラミアン(系)以外の指導では「上に向けてかけ始める」と指導していることを示しているわけです。実際の演奏では下に向けてかけ始めるのが楽な人はそれで構いませんし、通常上に向けてかけ始める人でも、演奏上の都合によっては一時的に下に向けてかけても構わない(当然逆も)わけです。
再び大変誠実なコメントを頂き感謝致します。
私の立場は大変シンプルです。
「ガラミアン(系)の指導ではヴィブラートは必ず基準音の下に、必ず下に向けてかけ始めなけらばならないとされることがほとんどだが、奏者の好みや音感に従って自由に(基準音に対してどこにでも、上に向けても)かけて構わない」
というものです。
ガラミアンが「ヴィブラート範囲の音程の上限を認識する」と主張しているので、それが誤りであることを示すために、通常はヴィブラート範囲のおよそ中間を認識するというデータを示しているだけで、最終的には奏者の音感で美しく聞えるようにかければいいわけです。
また「必ず下に向けてかけ始めなければならない」という主張が誤りであることを示すためにガラミアン(系)以外の指導では「上に向けてかけ始める」と指導していることを示しているわけです。実際の演奏では下に向けてかけ始めるのが楽な人はそれで構いませんし、通常上に向けてかけ始める人でも、演奏上の都合によっては一時的に下に向けてかけても構わない(当然逆も)わけです。
[32743]
Re: catgut氏の云うところのヴィブラート学習悲喜劇
投稿日時:2007年04月06日 19:36
投稿者:catgut(ID:ORchcIg)
名無しさまから「20世紀はじめまでのヴィブラートと現代のヴィブラートは違う」とのご指摘がありましたので、少し横道にそれますがコメント致します。
まさにその通りで、1930年頃までは先行した一部のソリストを除いて「ヴィブラートは装飾音的に局所的に使用する」ものでしたが、1930年頃以降は
オーケストラ奏者まで「できるだけヴィブラートを使用する」ように奏法が
変わってきました。
現代的なヴィブラート奏法である連続的ヴィブラート(continuous vibrato)は
イザイやクライスラーが確立し、それが魅力的だったので少しずつ他のソリストやオーケストラ奏者に広まったというのは間違いではないと思いますが、もう一つ原因が考えられます。
現代ではほとんど忘れられていますが、1920年代-1930年代頃には「スチールE線問題」が起きていました。
19世紀末に登場したスチールE線は、長い間ガットE線の安い不完全な代替品と考えられ、プロはほとんど使用しませんでした。当時のスチールE線は現在のスチールE線と比較して加工精度が劣り、また、逆にガットE線は当時のほうが高品質なものも含めて多くの種類がありました。
ところが第一次大戦によるヨーロッパの混乱で、高いスキルが必要なガットE線の生産が停滞し、ガットE線の入手が難しくなりました。このためプロ
もスチールE線を使わざるをえなくなりました。プロの間でも激しい議論が起きて、トーシャ・ザイデルらは強くスチールE線を批判し、カール・フレッシュらはスチールE線を推進しました。この結果、1920-1930年代頃にプロの間にもスチールE線がようやく普及しました。
当時のプロは、スチールE線はガットE線と比べて「他の弦と異質な音で裏返りやすい」と評価していました。シゲティは著書「弦によせて」に「ヴァイオリン音楽の今日のレコード吹込みの最大の困難の一つは、異常に強烈な振動をもっている金属のE線によって生ずるのである。」と書いています。このため、スチールE線の異質な音を弱めるために開放弦を出来るだけ使用せず、ヴィブラートを多用することが推奨されたということです。
スチールE線に対するヴィブラートは「異質な音」を美音化するためですからできるだけ多くヴィブラートを使い、かつ人間の感情とは無関係にかけ続けることになります。このことがオーケストラ奏者にまで連続的ヴィブラートが普及する推進力になったと考えられます。このことが「下にかける」と聞
いても疑問に感じない意識を作った可能性はあると思います。
「スチールE線問題」についてはカール・フレッシュの「ヴァイオリン演奏の技法」でも触れられていますし、当時のヴァイオリニストの証言などからも大問題であったことを知ることができます。
まさにその通りで、1930年頃までは先行した一部のソリストを除いて「ヴィブラートは装飾音的に局所的に使用する」ものでしたが、1930年頃以降は
オーケストラ奏者まで「できるだけヴィブラートを使用する」ように奏法が
変わってきました。
現代的なヴィブラート奏法である連続的ヴィブラート(continuous vibrato)は
イザイやクライスラーが確立し、それが魅力的だったので少しずつ他のソリストやオーケストラ奏者に広まったというのは間違いではないと思いますが、もう一つ原因が考えられます。
現代ではほとんど忘れられていますが、1920年代-1930年代頃には「スチールE線問題」が起きていました。
19世紀末に登場したスチールE線は、長い間ガットE線の安い不完全な代替品と考えられ、プロはほとんど使用しませんでした。当時のスチールE線は現在のスチールE線と比較して加工精度が劣り、また、逆にガットE線は当時のほうが高品質なものも含めて多くの種類がありました。
ところが第一次大戦によるヨーロッパの混乱で、高いスキルが必要なガットE線の生産が停滞し、ガットE線の入手が難しくなりました。このためプロ
もスチールE線を使わざるをえなくなりました。プロの間でも激しい議論が起きて、トーシャ・ザイデルらは強くスチールE線を批判し、カール・フレッシュらはスチールE線を推進しました。この結果、1920-1930年代頃にプロの間にもスチールE線がようやく普及しました。
当時のプロは、スチールE線はガットE線と比べて「他の弦と異質な音で裏返りやすい」と評価していました。シゲティは著書「弦によせて」に「ヴァイオリン音楽の今日のレコード吹込みの最大の困難の一つは、異常に強烈な振動をもっている金属のE線によって生ずるのである。」と書いています。このため、スチールE線の異質な音を弱めるために開放弦を出来るだけ使用せず、ヴィブラートを多用することが推奨されたということです。
スチールE線に対するヴィブラートは「異質な音」を美音化するためですからできるだけ多くヴィブラートを使い、かつ人間の感情とは無関係にかけ続けることになります。このことがオーケストラ奏者にまで連続的ヴィブラートが普及する推進力になったと考えられます。このことが「下にかける」と聞
いても疑問に感じない意識を作った可能性はあると思います。
「スチールE線問題」についてはカール・フレッシュの「ヴァイオリン演奏の技法」でも触れられていますし、当時のヴァイオリニストの証言などからも大問題であったことを知ることができます。
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