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音程感覚には母語の影響が出るのか? | ヴァイオリン掲示板

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雑談・その他 275 Comments
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音程感覚には母語の影響が出るのか?

投稿日時:2009年03月28日 16:04
投稿者:pochi(ID:OVMFIBc)
ttp://www.fstrings.com/board/index.asp?id=39390
関連です。

音程感覚に母語の影響は、有る様な無い様な、感じです。こんなのの「分析」にはtartiniは有効な道具の一つになるでしょう。
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14 / 28 ページ [ 275コメント ]
[40017]

Re: 音程感覚には母語の影響が出るのか?

投稿日時:2009年04月25日 08:32
投稿者:pochi(ID:OVMFIBc)
クラテーちゃんはとても上手ですね。歌い方がタイ演歌風ですね。タイに暫く棲むと、これが普通に聞こえてきます。

クラブに行きますと、民謡調・演歌調・西洋ポップス調を見事に唄い分けるのが普通です。歌詞はタイ語と英語です。
[40018]

Re: 音程感覚には母語の影響が出るのか?

投稿日時:2009年04月25日 10:34
投稿者:<40013>(ID:UwZhZpA)
削除された<39995>もそうでしたが、週刊誌まがいの下品なゴシップネタには正直辟易しますね。
[40020]

Re: 音程感覚には母語の影響が出るのか?

投稿日時:2009年04月25日 13:00
投稿者:pochi(ID:OVMFIBc)
<40013>氏、
お褒めに預かり、有難う。さらに被せます。
聴くに堪えない読経の様な雑音が受け入れられるという事は、「草脱君達」もホモオジサン事務所の"Japanese Flutist"なのでしょうか。彼らの歌(らしきもの)も多くの日本人の音程感覚の貧困さを表しているんでは無いかと思います。日本語の影響なのでしょうか?

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クライバーンがアメリカに凱旋した時のメディアの取り上げ方をどのようにお考えですか?「週刊誌まがいの下品なゴシップネタ」には該当しないのでしょうか?

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リズム感覚でも日本のメディアには問題が有る様な気がします。サンテレビ「阪神タイガースナイター」は嘗て生バンドのジングルを使っていましたが、なんだかキーボードに変わってしまったようです。装飾音符が甘くて聴くに堪えません。これも日本語の影響なのでしょうか?

サンテレビ繋がりで、「生×カラ!TV」。音程感覚の無い人が出演していますね。NHK「のど自慢」で音痴を披露するのと同じ趣旨です。国営放送で音痴に唄わせて楽しむ(嘲る?)のは、日本人には民族的に音程感覚を求めるのは間違っているのではないかという疑問を喚起させさえします。やはり、日本語の影響なのでしょうか?

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タイ演歌の場合は、「音程感覚に母語の影響が出る」のではなく、「音程に声調の特徴を出している」のでしょう。この2つは全く違う事の様に思います。また、タイの民族的音律とは些か違うような気がします。民族楽器の鐘のようなものでは、オクターブが有りませんでした。

日本語の少々解るタイ人に「これはどういった音楽なのか?」と問うた所、「タイの演歌である」という回答を得ていますので、演歌という言葉を敢えて使います。

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音程感覚に関して、民族音楽の影響と母語の影響を切り分けて評価する事は可能なのでしょうか?
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Re: 音程感覚には母語の影響が出るのか?

投稿日時:2009年04月25日 22:00
投稿者:catgut(ID:MQUxREA)
>「音程に声調の特徴を出している」

ポルタメントや、長い音に控えめにかけるヴィブラートは特定言語のイントネーションの模倣の場合があると思います。連続的ヴィブラートが掛かりつづけると器楽的印象が強くなると思います。連続的ヴィブラートの普及も、ヴァイオリンの音を「人間の声」から遠ざけた一因かもしれません。

>音程感覚に関して、民族音楽の影響と母語の影響を切り分けて評価する事は可能なのでしょうか?

ここが研究課題で、日常言語で使う音高の差が民族音楽の音階に影響しているのか、単にある時期に成立した民族音楽の音階が延々と受け継がれているだけなのかということですね。

私は前者ではないかと思いますが、明確にするためには統計的な調査が必要かもしれません。
[40039]

Re: 音程感覚には母語の影響が出るのか?

投稿日時:2009年04月26日 20:04
投稿者:catgut(ID:MQUxREA)
念のため1点強調しておきたいことがあります。
音楽史関係で、西欧では中世から民間を含めて広く旋律的音階にはピタゴラス音律が用いられたという説を見かけますが、これはかなりミスリーディングな表現だと思います。

すでに紹介しましたが、「ヴィンチェンツォ・ガリレイの音律論」岡部宗吉著は大変興味深い論考です。
ttp://ci.nii.ac.jp/naid/110006265676

ヴィンチェンツォ・ガリレイ(1520後半-1591)は歌でピタゴラスや純正律を使うというのは凝り固まった教条的な理念に過ぎず、経験上実際の歌唱はピタゴラス音律でも純正律でもないと主張したということです。

以下、一部引用します。

--------
ザルリーノとガリレイの論争は「現在声楽に用いられている音律は純正律なのかどうか」という点に集約され、純正律を推進するザルリーノを、ガリレイが著書の二冊『対話』と『キオッジャのジョゼッフォ・ザルリーノ氏の著作に関する論考』において論駁しようと試みている。

(ガリレイは)当時歌われているのは純正律ではなく、またピュタゴラス音律でもないという結論に至る。

声楽については、ピュタゴラス音律と純正律が混合されていると結論づけている。

(ガリレイはこう述べている)「あなたがこの問題のからまりを解きほぐそうとなさる前にお願いがあります。すなわち、こうした感覚の届くところにある問題においては、権威をつねに脇に置かれること、そしてあらゆる真理の印に反する色眼鏡の入った理屈を捨て置かれることです」
--------

エネスコやバルトークが微分音を使用したのは民謡の音律を意識してのことと言われており、またいったんピタゴラス音階が民間にまで広まったという説に対して反論する論文もありました。

また、ガリレイの時代にはポリフォニー音楽が発達した影響で旋律が聞き取りにくくなっていたため、ガリレイは音楽の言語的要素を重視するよう主張したということです。
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Re: 音程感覚には母語の影響が出るのか?

投稿日時:2009年04月27日 23:23
投稿者:catgut(ID:MQUxREA)
私は不勉強で知らなかったのですが、すでにギリシャ時代に、理論を優先するピタゴラスを批判して、耳で聞いて美しい音律こそが良い音律であり、微分音も必要なら使うべきと主張するアリストクセノスという有名な学者がいたのですね。

古代音楽論集―アリストクセノス/プトレマイオス 山本 建郎 訳
amazonの紹介より。
アリストクセノス(前4世紀)は、音程を数比だけで決めるピュタゴラス派の方法論を排し、耳で聴いた音をもとに音階理論を確立した。

ギリシャ時代の音楽について
The Pelican History of Music Edited by Alec Robertson and Denis Stevens より
ttp://www2m.biglobe.ne.jp/~m-souda/mysouda/music/pelican/volume1/nonwest/greece/greece2.html
1/4音は、ギリシアでは、少なくともBC4世紀には知られており、ギリシア人の耳は、私たちの耳より鋭敏であったかもしれないことを示唆している。このことは、今日の東洋の多くの人々のように、和声(ハーモニー)がなく、(ヘテロフォニーで)音楽表現の多くの部分を、旋律を一層繊細なものにするという可能性に頼っている人々においては、それほど驚くべきことではないだろう。微妙な声の抑揚は、ギリシアの旋律では重要な役割を果たし、ゲノスの動く音は、固定した点というよりむしろ重心のようなものとみなされた。
[40056]

Re: 音程感覚には母語の影響が出るのか?

投稿日時:2009年04月28日 16:12
投稿者:コクシネル(ID:JJMIcYg)
話あまり関係ありませんが、「方向音痴」という言葉は秀逸ですね。 外国語にはとても訳せません。
[40058]

Re: 音程感覚には母語の影響が出るのか?

投稿日時:2009年04月29日 13:24
投稿者:Xin(ID:EZKRRpQ)
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[40039]

Re: 音程感覚には母語の影響が出るのか?

投稿日時:2009年04月26日 20:04
投稿者:catgut(ID:MQUxREA)
念のため1点強調しておきたいことがあります。
音楽史関係で、西欧では中世から民間を含めて広く旋律的音階にはピタゴラス音律が用いられたという説を見かけますが、これはかなりミスリーディングな表現だと思います。

すでに紹介しましたが、「ヴィンチェンツォ・ガリレイの音律論」岡部宗吉著は大変興味深い論考です。
ttp://ci.nii.ac.jp/naid/110006265676

ヴィンチェンツォ・ガリレイ(1520後半-1591)は歌でピタゴラスや純正律を使うというのは凝り固まった教条的な理念に過ぎず、経験上実際の歌唱はピタゴラス音律でも純正律でもないと主張したということです。

以下、一部引用します。

--------
ザルリーノとガリレイの論争は「現在声楽に用いられている音律は純正律なのかどうか」という点に集約され、純正律を推進するザルリーノを、ガリレイが著書の二冊『対話』と『キオッジャのジョゼッフォ・ザルリーノ氏の著作に関する論考』において論駁しようと試みている。

(ガリレイは)当時歌われているのは純正律ではなく、またピュタゴラス音律でもないという結論に至る。

声楽については、ピュタゴラス音律と純正律が混合されていると結論づけている。

(ガリレイはこう述べている)「あなたがこの問題のからまりを解きほぐそうとなさる前にお願いがあります。すなわち、こうした感覚の届くところにある問題においては、権威をつねに脇に置かれること、そしてあらゆる真理の印に反する色眼鏡の入った理屈を捨て置かれることです」
--------

エネスコやバルトークが微分音を使用したのは民謡の音律を意識してのことと言われており、またいったんピタゴラス音階が民間にまで広まったという説に対して反論する論文もありました。

また、ガリレイの時代にはポリフォニー音楽が発達した影響で旋律が聞き取りにくくなっていたため、ガリレイは音楽の言語的要素を重視するよう主張したということです。
catgutさま
>>ヴィンチェンツォ・ガリレイ(1520後半-1591)は歌でピタゴラスや純正
>>律を使うというのは凝り固まった教条的な理念に過ぎず、経験上実
>>際の歌唱はピタゴラス音律でも純正律でもないと主張したということ
>>です。
についてです。

ヴィンチェンツォ・ガリレイはリュート奏者ですね。
リュートという楽器はフィレットが付いているので平均率で固定かと思っていました。それでなんでガリレイが音律にこだわるのかと疑問でした。

私はリュートにさわったことがないので想像ですが、楽器の構造上(フィレットの構造、複弦、弦張力)色々な音律に設定できますね。
複雑な曲を演奏するのはともかく、実験的に音階をひくことはできるでしょう。
一度、音律を設定すればそれを正確に再現できます。

注)
私のもっている楽譜ではガリレイの生年は1533となっています。
色々な説があるようです。
[40063]

Re: 音程感覚には母語の影響が出るのか?

投稿日時:2009年04月30日 00:17
投稿者:catgut(ID:MQUxREA)
アリストクセノス ハルモニア原論 山本健郎訳より、アリストクセノスがピタゴラス派などを批判している部分を引用します。

-----
(旋律において声の動きは音程的(=一定の高さ)でなければならないため)音楽的な旋律は語りからは区別される。実際には、語りも、それが単語のなかにある抑揚から成るものであるからには、ある種の旋律ではある。
-----

と音楽のイントネーションと言語のイントネーションを一応区別したうえで、以下のように述べています。

------
一般的に言って、われわれは、すべての旋律について、弦が引き伸ばされたり、緩められたりする過程で声は本来どのようにして音程を立てるのか、を考察すべきである。われわれの語るところによれば、声は自然な動きを動くが、音程を立てるに当たってはその動きは任意ではないからである。そして、その論証については、われわれはこれを現象に適合したかたちで語るように努めよう。しかし、先人たちの轍は踏まないようにしよう。先人たちのうちには感覚を正確でないとして除外し、思惟的な原因だけを用意した人々もいるが、これは的外れである。彼らはそれを数の比であると言い、また互いの速さに注目して、その中で[音の]高さと低さが生ずるとするものであるが、これはあらゆるもののうち最も珍妙にして現象に反した理論である。他方、現象それ自体をうまく数え上げようとはしないで、原因も論証もなしに、何でも神託のように述べる人々もいる。われわれは音楽の経験ある人々の心に現われるすべての原理を採り上げて、そこから導かれる結論を論証するよう努めよう。
-----

純正律を重んじたルネサンス音楽が行き詰まると「経験的な音律」を重視するバロック音楽が登場したのは上記批判に合致するように思われます。また「響きの考古学」の著者の藤枝守氏らは、現在の「クラシック音楽」の行き詰まりを音律の見直しで打開したいという考えのようです。
[40067]

Re: 音程感覚には母語の影響が出るのか?

投稿日時:2009年04月30日 07:50
投稿者:catgut(ID:MQUxREA)
ギリシャ時代は微分音を含む音階も使われていたため、当時ピタゴラス音律は音楽家にとって違和感のあるものであったと思われます。ピタゴラスはピタゴラス音律が耳に「美しい」ことを意図したというよりは、「数学的に美しいものは神に近い」という確信によって、美しく聞こえなくてもピタゴラス音律を使うべきだと考えたようです。

しかしその後主に政治的・宗教的にピタゴラス音律が支持され、実際に西洋の教養がある階級にはピタゴラス的音律が刷り込まれた(英語のオックスブリッジイントネーションのように)ため、教養がある階級には現実にピタゴラス的音律が「美しく」感じられるようになったようです。
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