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もっと始末に悪いのは、アマチュア? | ヴァイオリン掲示板

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雑談・その他 105 Comments
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もっと始末に悪いのは、アマチュア?

投稿日時:2006年02月07日 02:15
投稿者:kokukirin(ID:lEYDWRA)
自己レスです。そして、アマチュアバイオリニストへの問題提起。
> 演奏家は何のために演奏しているか

某スレッドでの言葉ですが、その後、おまえらはどうよ?という声が聞こえてきました。結論は、「もっと始末に悪いのは、アマチュアだ。」

アマオケの話はこの掲示板でもよく出てくるので聞き飽きた話になると思いますし、アマチュアといってもいろいろありますから、一概に論ずることはできませんが。

たとえば、アマだからこんな程度でいい、とすぐに思う人は多いのではないでしょうか。
音楽をするという行為は、本来プロもアマもないです。アマにも確かに上手な人は多いですが、どんぐりのせいくらべなのにプライドだけ高かったり(私のこと?)、ろくに練習もせずにプロを呼んで大迷惑をかけたり(おまえのことだ。誰?)。楽しむために集まってやっているはずなのに、練習もつまらない、本番は不愉快そのもの。子供のピアノ発表会はとてもいいものがあります。いい大人が子供のピアノ発表会に負けてます。

プロがアマに入ってくるに従って、プロに迷惑をかけて平気なアマ集団、プロの真似をして自分達はうまいと思っている勘違いアマ集団。そういうのって、ちっとも楽しくないと思う。
アマにはアマのやり方、姿勢があると思うのです。プロになれないからアマ、ではないのです。どう思いますか。
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Re: もっと始末に悪いのは、アマチュア?

投稿日時:2006年04月08日 09:31
投稿者:pochi(ID:EHMASYE)
同じ舞台芸能(芸術)である、日本の演芸を観に行った事が有りますか?観客と出演者の精神的距離が近いと思います。教養主義的に西洋文明受容の一部として成立してきた日本の西洋音楽事情が、舞台の上の者と、観客との精神的距離を大きくしているのだと思います。

「Marketing と Customer Satisfaction の追求」に関しては、演奏するという仕事と、脳の中で両立し難い様に思います。「調整労働と調性労働」の違いとでも云うんでしょうか?「製造現場とセールスの違い」と言い換えても良いと思います。多くの場合、分業されていますね。

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Re: もっと始末に悪いのは、アマチュア?

投稿日時:2006年04月07日 19:05
投稿者:pochi(ID:EHMASYE)
[a18071]tomtom氏[06/04/07 8:47:43]投稿、
面白い投稿なので、

1.に反対。
街角でヴァイオリンを弾いて乞食として生きて行ってはイケナイんでしょうか?国民である前に、人間であり、表現者なのです。

2.にも反対です。勝手に投げ銭を入れてゆく人を大切にするかどうかは、表現者の勝手だと思います。

3.にも反対。
社会の境界部分に文化は存在します。河原乞食に納税義務を課すなんて、暴論です。
は、極論に極論で遊んだだけですよ。多くのヴァイオリン弾きにとっては、 [a18073]
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Re: もっと始末に悪いのは、アマチュア?

投稿日時:2006年04月07日 19:28
投稿者:rio(ID:QjhScAA)
「職業演奏家3原則」 洒落やジョークなら面白いのですが…

1.職業演奏家は妥当な入場料を取らなければならない。

パトロンがいて、パトロンのサポートで廉価な入場料を設定する人はどうすればいいのでしょうね。楽器や活動資金の援助を受けている職業演奏家は、自らの生活環境を維持するために、パトロンの言うことを聞くでしょ。そんなことを言ったら、パトロンたちが気持ちよ~く演奏会を主催することが出来なくなってしまいます。

「プロ=職業=ビジネス」と考える私は、音楽の世界においても、競争と淘汰は不可避だと考えています。

文化という面で保護するというお考えならば、入場料などは職業演奏家に対して強要するものではなく、聴く側の意識改革が必要と感じます。



2.職業演奏家は顧客としてのアマチュアを大切にしなければならない。

ここは、「アマチュアおよびパトロン・タニマチ・経済的支援者」とすべきと思います。



3.職業演奏家は正しく所得を申告して納税しなければならない。

これはそのとおりだと思います。でも裕福な人はモナコに居を移す人多いですよね。
rio氏の投稿が妥当だと思います。
[a18085]

Re: もっと始末に悪いのは、アマチュア?

投稿日時:2006年04月08日 20:15
投稿者:匿名希望X(ID:M5WASRg)
アマチュア論議の場なら遠慮しますけれど、趣旨がプロ論に変化しているように見えるので、ちょっと考えてみました。

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Re: もっと始末に悪いのは、アマチュア?

投稿日時:2006年04月07日 23:21
投稿者:kokukirin(ID:lEYDWRA)
tomtomさんのは、音楽家三原則にしたいですね。

まだ思春期の頃、私は純粋の音楽家とはアマチュアでしかあり得ない、と思っていました。職業音楽家は、いわば不潔な部分がどうしても生じてしまうと考えていたんです。
今はそこまで極端には考えませんが、上手な演奏家が必ず集客できるというわけではありませんし、有名だから上手というわけでもありません。情報が価値を持っている世の中ですから、集客力は宣伝力みたいなところもあります。

アマチュアとプロを区別するのは難しいというお話もありますが、これは経験がないと理解されないみたいですが、いい演奏というのは、テクニックがなくてもできます。ですから、アマチュアでもプロをしのぐ成果のある演奏が可能なのです。
ど素人の即興演奏に感動したことがあります。小学生男子の歌が心に直接訴えてきました。初心者の大学生のバイオリンの雄弁さに驚愕しました。
もちろん、いずれも彼等にはプロが指導していました。それこそそれほど有名でないプロですが、しっかりアマチュアを指導していたわけです。

そういう演奏は、やはりプロの音楽に対する姿勢、あり方とは違いがあり、アマチュアとして指導していたからと思います。アマチュアはそういう演奏を目指すべきで、そういうことを理解しているプロの方と交流すればいいと思います。
kokukirinさんの書き込み
>> 私は純粋の音楽家とはアマチュアでしかあり得ない
>> 職業音楽家は、いわば不潔な部分がどうしても生じてしまう

kokukirinさんが無論今、そうは考えないという風に理解します。

音楽作品は欲望と政略のうずまく俗世間で生まれるのです。
オペラ作曲家(ヘンデルやマイアベアやヴェルディやワーグナー)は清廉潔白で不正や恐喝や政治工作や買収や欺瞞やらと無縁であったと考えたら、無知もいい所でしょう。彼等が腹黒く立ち回りライバルを蹴落とし、パトロンを騙し抜いたからこそ、偉大な作品は我々に残されたのではないか。
ファリネッリは去勢された男のソプラノです。かれが声楽芸術の発展に大いに寄与したことは疑えない。映画に描かれたとおりだと思えないが、欲得ずくで親のエゴで去勢されたんでしょう。

そもそも音楽というのがいかがわしい芸能から発達したんだと考えたほうが音楽史の実際に近い。
職業演奏家は如何に不潔でも偉大な演奏は出来ますよ。疑いますか?

小説だって作家がろくなことを考えなかったから傑作が生まれたんですよ。
[a18086]

Re: もっと始末に悪いのは、アマチュア?

投稿日時:2006年04月08日 23:09
投稿者:練習がんばろっと(ID:VZdRlkA)
プロの定義は
特定、あるいは不特定多数のスポンサー、パトロン、支援者から料金を頂き、それらの方々の利益(金銭的または精神的)を自分の技術でもって与えることを主たる業務(主観的または客観的)とする者。
だろうな。

プロはアマとは違うんだぜ、人に影響を与えてなんぼだぜ。
アマチュアの影響を受けてしまうようなら、支援者、ファンに申し訳ないね。
アマチュアに迷惑なんかかけられることはないから大丈夫だよん

バイオリニストもゴルファーも営業マンもパン屋さんも同じだろ
プロである以上自分との戦いだもんね。
いかに品質をおとさず、維持、向上していくかをいつも考えてなければ、誰の支持も得られないしね。

支持者があっての自分だし、リスクはいつも背負っているし、品質の低下を人のせいにはできない分、自分の精神的、肉体的に良い状態の維持のためにがんばっていたら、結果はついてくると信じているけどね。

自分の仕事に、少しでも影響を受けてもらい、興味を持ってもらえることがやりがいかな
たとえ、どんなひどい向上心のないオケに呼ばれたとしても、その中の誰か一人でもいい影響を受けていただけるならがんばれるで。
怒ったふりも必要なときもあるしね。
でもアマチュアに影響を受けるようならプロ失格だからそこで見分けてね。
プロかどうか。
[a18087]

Re: もっと始末に悪いのは、アマチュア?

投稿日時:2006年04月09日 03:58
投稿者:kokukirin(ID:lEYDWRA)
>あらゆるアマチュアがみんな「そういう演奏を目指す『べき』」などと決
>め付けるのはナンセンスですね。
・・・・・
> その価値観にあわない人を非難、攻撃するのは「いかがなものか」。

言いがかりをつけてるだけですね。

yamさんの痛いところを突いてしまったようです。
お互い別の道を歩きましょう。
[a18088]

みなさん

投稿日時:2006年04月09日 08:24
投稿者:ですから(ID:M5WASRg)
こんな暇な議論するくらいなら、少しは練習すれば?
もう飽き飽きですよ
[a18089]

Re: もっと始末に悪いのは、アマチュア?

投稿日時:2006年04月09日 09:04
投稿者:ガルネリ(ID:IZNjSCk)
驚きました。

>言いがかりをつけてるだけですね。

>yamさんの痛いところを突いてしまったようです。

この論理。議論を、他者とのまっとうな関係性をも、すべて放棄するものです。

kokukirinさんやこのスレと今まで真剣に向かい合っていた人は、
どれだけ甚大なむなしさを感じていることでしょう。

このスレの意義も、kokukirinさんの信頼も、零落したようです。
[a18090]

Re: もっと始末に悪いのは、アマチュア?

投稿日時:2006年04月09日 09:35
投稿者:tomtom(ID:QDU1YkE)
[a18082]
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Re: もっと始末に悪いのは、アマチュア?

投稿日時:2006年04月08日 09:31
投稿者:pochi(ID:EHMASYE)
同じ舞台芸能(芸術)である、日本の演芸を観に行った事が有りますか?観客と出演者の精神的距離が近いと思います。教養主義的に西洋文明受容の一部として成立してきた日本の西洋音楽事情が、舞台の上の者と、観客との精神的距離を大きくしているのだと思います。

「Marketing と Customer Satisfaction の追求」に関しては、演奏するという仕事と、脳の中で両立し難い様に思います。「調整労働と調性労働」の違いとでも云うんでしょうか?「製造現場とセールスの違い」と言い換えても良いと思います。多くの場合、分業されていますね。

[a18072]は、極論に極論で遊んだだけですよ。多くのヴァイオリン弾きにとっては、 [a18073]rio氏の投稿が妥当だと思います。
のpochiさんのメッセージへのレスです。

>「Marketing と Customer Satisfaction の追求」に関しては、
>演奏するという仕事と、脳の中で両立し難い様に思います。
>(中略)「製造現場とセールスの違い」と言い換えても良いと
>思います。多くの場合、分業されていますね。

これはとても興味深いコメントです。プロ、ノンプロ、アマチュアというものの本質が何であるかということへの考察の切り口が含まれています。

職業演奏家(プロ演奏家)の中には、いわゆる音楽事務所と契約している人たちがいるじゃないですか。こういう人たちが音楽事務所と契約する動機が、まさにpochiさんのおっしゃるMarketing と Customer Satisfaction の両立の難しさにあると思います。

職業演奏家は、音楽事務所と契約することによって、マーケティング(コンサートの制作作業)の側面を事務所にゆだねて、自分は演奏のほうに集中する、ということですね。この場合、職業演奏家は、自分の分だけではなく音楽事務所の儲けの分まで稼ぎ出さなければならない、ということがおこります。つまり、この場合の職業演奏家は、自分の分だけではなく音楽事務所の儲けの分まで稼ぎ出せるほどに、自己の商品価値があるのでなければなりません。ここに、プロとして通用する実力(商品価値)が要求されています。これは、「利益が出るということは、職業演奏家(プロ演奏家)がプロであるための証(あかし)のようなもの」という私が申し上げたことと直接つながっています。
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Re: もっと始末に悪いのは、アマチュア?

投稿日時:2006年04月09日 18:14
投稿者:tomtom(ID:QDU1YkE)
NONさん、こんにちは、tomtomです。ご自身で削除された投稿をわざわざ復活させてくれたようなので、その労苦に敬意を表してレスを差し上げますね。

>また、採算が取れなければ職業じゃないというのなら、採算が
>取れればどんな演奏、演技でもすばらしい表現者なのですか?
>マネージメントが良ければ採算はとれるのではありませんか?
>こと、日本はコマーシャル産業の発達した国なので、一概に

>>利益が出るということは、職業演奏家(プロ演奏家)がプロであるための証(あかし)

>とは言えないのではと、私は思ってしまいます。それにそんな
>尺度で芸を語るのも悲しいような気がします。

その演奏会が事業として成り立っているかどうかという問題と、その演奏会で客に提供されている演奏が芸術としてどうであるかという問題とは全然次元が違う問題だ、というのが私の認識です。だからこそ、プロの反意語は「アマチュア」ではなく、「ノンプロ」なんですよ。

その演奏会を事業として成り立たしめる力量があるからこそプロなのであり、逆に、その力量がなければノンプロです。アマチュアではありません。あくまでノンプロです。「アマチュア」というのは、音楽や演奏に愛情を注いでいる人間のことだと思います。だから、プロの中にもアマチュアの本質を持っている人はいると思いますし、ノンプロの中にも、アマチュアとしての本質を持っていない人もいると考えられます。

私はアマチュア3原則を次のように提唱しました。

1.アマチュアは常に自己研鑽を怠ってはならない。
2.アマチュアは常に作品に対する畏敬の念を失ってはならない。
3.アマチュアは常に自分の演奏を聴いてくれる人に対する感謝の念を忘れてはならない。

音楽や演奏に愛情を注いでいる人間の要件をほぼ過不足なく抽出しているのではないかと考えています。
[a18095]

プロの定義

投稿日時:2006年04月09日 20:15
投稿者:MOTMOT(ID:NyNzkVU)
わかった。
tomtomさんの定義で「プロ」なのは
pochiさんが愛している万寿セリ子さん。
それと、典磨薄子さんと 後橋帝子さん。
あとメザクラのおねーさんと、大阪芸大の教授さんだ。
あとは全部ノンプロ、放送局立オケも全部ノンプロ。
男性では吐かせ次郎くんですか。
納得!!
[a18097]

Re: もっと始末に悪いのは、アマチュア?

投稿日時:2006年04月10日 04:45
投稿者:kokukirin(ID:lEYDWRA)
>kokukirin氏の投稿の当初の趣旨が解らず、

難しい定義をちょっと置いて話をしますが、プロというのは、フィードバックループがあると思います。つまり、聴衆からの反応や評論家、集客などのあらゆる結果からの戻りです。それにより修正の余地があります。

ところが、いわゆるアマはありません。
つまり、自由なのです。
自由ばかりでなく、同時についてくる責任を考え、行え、ということです。
余計なお世話とも言えますが、それで何もしないというのは性分に合わないもので。
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