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音我苦・音学・音楽 | ヴァイオリン掲示板

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雑談・その他 59 Comments
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音我苦・音学・音楽

投稿日時:2004年01月04日 02:23
投稿者:pochi(ID:OXWSiAA)
素朴な疑問です。

やっぱり「音学」は、ヴァイオリン演奏に必要不可欠なんでしょうか?
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4 / 6 ページ [ 59コメント ]
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Re: 音我苦・音学・音楽

投稿日時:2004年01月19日 01:15
投稿者:kirin(ID:JnA2WZQ)
pochiさん
> 現代的感覚と、西洋貴族的感覚は、違うのです。

同感です。

確かに調性音楽の頂点は既に過ぎており、作曲家は大変なのかもしれません。しかし、たとえば、不協和音の感じ方が現代ではベートーベン時代と異なるということだけでも我々はベートーベンの曲を豊かにする演奏ができるのではないでしょうか。

第9フロイデやVnコンチェルトにあるように、ベートーベンはオクターブが大変美しいと思います。

ベト8のシンフォニーの第1楽章を日本のオケで聞いたとき、弦パートのオクターブの取り方が貧弱であると感じました。つまり、日本のクラシックは西洋貴族的感覚とは全く異なるという判断もできますが、私はこれは、オクターブに対する感覚が未熟だからである、と感じました。外国のオケで8番を生で聞いたことがないのでこのくらいしかわかりません。

演奏は下手なのですが、耳だけ肥えていると勝手に思っているので、いっぱしの評論家並みに言うのですが、人間の音感覚は時代とともに変わってきていますから、よく知られた楽曲に、極端に言えば、新しい発見をする可能性は今後もあり続けると思うのです。ですから、音に対して意識的に取り組むことは時代が変わってもずっと続いていくだろうと思います。
[9116]

Re: 音我苦・音学・音楽

投稿日時:2004年01月19日 09:29
投稿者:pochi(ID:WXQidWA)
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Re: 音我苦・音学・音楽

投稿日時:2004年01月19日 01:15
投稿者:kirin(ID:JnA2WZQ)
pochiさん
> 現代的感覚と、西洋貴族的感覚は、違うのです。

同感です。

確かに調性音楽の頂点は既に過ぎており、作曲家は大変なのかもしれません。しかし、たとえば、不協和音の感じ方が現代ではベートーベン時代と異なるということだけでも我々はベートーベンの曲を豊かにする演奏ができるのではないでしょうか。

第9フロイデやVnコンチェルトにあるように、ベートーベンはオクターブが大変美しいと思います。

ベト8のシンフォニーの第1楽章を日本のオケで聞いたとき、弦パートのオクターブの取り方が貧弱であると感じました。つまり、日本のクラシックは西洋貴族的感覚とは全く異なるという判断もできますが、私はこれは、オクターブに対する感覚が未熟だからである、と感じました。外国のオケで8番を生で聞いたことがないのでこのくらいしかわかりません。

演奏は下手なのですが、耳だけ肥えていると勝手に思っているので、いっぱしの評論家並みに言うのですが、人間の音感覚は時代とともに変わってきていますから、よく知られた楽曲に、極端に言えば、新しい発見をする可能性は今後もあり続けると思うのです。ですから、音に対して意識的に取り組むことは時代が変わってもずっと続いていくだろうと思います。
kirinさんが、どう云った感性をお持ちなのか解りかねます。

>不協和音の感じ方が現代ではベートーベン時代と異なるということ
***に依って、
>我々はベートーベンの曲を豊かにする演奏ができる

これには必ずしも同意できません。何とも言えないと思います。

日本のオーケストラを私が聴いた限り、オクターブには然程問題はありません。寧ろ、3度、6度に問題があります。

私は、鑑賞者の立場で音楽を聴く事は殆どありませんから、多分、kirinさんとは、音楽の聴き方が違うと思います。
[9138]

Re: 音我苦・音学・音楽

投稿日時:2004年01月19日 18:34
投稿者:天音のパパ(ID:FRUoZDU)
あ、駄目です。まだ宇宙人の会話に見えます。
他スレで、リハビリしたら、また来ます。
[9140]

Re: 音我苦・音学・音楽

投稿日時:2004年01月19日 18:58
投稿者:pochi(ID:WXQidWA)
天音のパパさん、

風邪を治すのが先決です。
「医者の不養生」とは良く言ったものです。
音楽なんぞ命あっての物種です。

米国人がイラクで何人死んだか発表されても、
イラク人が米国兵に何人殺されたか発表されません。

ゼウスの神は罪作りですね。
[9143]

Re: 音我苦・音学・音楽

投稿日時:2004年01月19日 20:15
投稿者:Geiger1951(ID:NCd1OQI)
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Re: 音我苦・音学・音楽

投稿日時:2004年01月19日 00:13
投稿者:pochi(ID:FHgXEwI)
少しレベルが落ちた。楽になった。有難うございます。

件の宦官は、「ブレンダン・ビーアン」アイルランドの劇作家ですね。私は、「舌先しか使えない」と痴性で理解していました。

>日本でロシア文学が人気を博した理由に私は仮説、、、
****これは、常識だと思います。

>【一握りの上流貴族の絢爛豪華な西欧趣味】
*****露西亜の上流階級の教養はフランス語とラテン語にありました。文化後進国の先進国かぶれです。

>日本をして仮に大東亜戦争の愚を犯さ令めず、華族制度をして猶数世>代の余命を得令めしならば、今日クラシック音楽はさらに深く日本に>根を下ろすを得たでありましょう。
****この仮説には疑問があります。議論を出来る程の知識がありません。鹿鳴館の延長が根付くのでしょうか?

マルクスはヘーゲル批判の中で「史的唯物論」を提起しました。「経哲草稿」は、今でも様々なインスピレーションを与えてくれる良書だと思います。レーニンの芸術論は、芸術家ではない俗人が芸術について書いた悪書です。お笑いなので、暇を見て読んで下さい。

「まなぶ」という言葉は「まねる」という言葉から来ているらしいです。鈴木では、あの下手くそなレコードを聴いて、そっくり真似て物凄い進度で進みました。母が歌手だったので、これではいけないと気付いて先生を変えたり、違うレコードを買ってきたりと、腐心したみたいです。

西洋の学問は、アリストテレス(ギリシャ)とキリスト教(ローマ)の呪縛から、精神(人間)を解放する事を目的としていた。ルネッサンスとは、そんな時代だったと、史的唯物論では解釈するようです。私の専門は歴史ではありません。

欧羅巴で流された血がクラシック音楽には染込んでいるのです。其れを直接体験した師に学べた事は幸せでした。

エピソードを一つ。アマチュアオケで師がコンサートマスターでコンマスの足を弾いた事があります。師は、1章節ずれて堂々と弾きました。私は、仕方なく師に合わせて弾きました。後で、皆に叱られた事は云うまでもありません。私の責任になりました。私は、米国では「パシフィック・アイランダー」と分類されるらしいです。責任を取らせるのに適当な存在だったのでしょう。

大阪のセンチュリーオケの宣伝放送を録画で観ました。在日韓国人みたいな名前の金髪に染めた若い指揮者が、渡辺徹と女の子を舞台に招き入れてのオケの宣伝です。真面目に観た訳ではありませんが、ワインを飲みながら何と無く聴いていると、一々癇に触るのです。最後にベートーヴェン5番運命の4楽章の最後のトランペットのユニゾンを、装飾音符(エコー)的に1/16ずらして失敗したのか、単に合わなかったのか、何れにしても、私なら、番組のディレクターを馘にします。番組の構成は、良く出来ていましたが、音楽の内容はボロボロでした。日本の音楽のレベルが良く解る物を教えてくれと云ったら、友人が見せてくれたのです。東京ではそんな事は有り得ないんだそうですが、タイプライターが遅れた東京レディースオケの録音もあります。あれを子供に聴かせたら、音楽性を潰しますね。

「君が代」は何回か弾きましたが、6/8で弾けば、「蛸踊り」にもなります。「奥様は騎乗位がお嫌い」ではなく、「正常位が最高」でもなく、「清浄機よ永遠なれ」は3拍子ですね。国家の為に演奏するのは、精神的に苦痛です。

教会には大変御世話になりました。半分職場の様なものでした。エピスコパル・トリニティーが、お金になります。練習場としても最適ですよね。バプティスト教会に行ったら、天道よしみみたいなコブシバリバリ海苔海苔のお姐さんが歌ってました。凄い!あの真似は出来ません。お金にもなりません。音楽は神様に捧げるものでした。
pochiさん 少しレベルが落ちた。 [04/01/19 0:13:07]
>>金髪に染めた若い指揮者が、渡辺徹と女の子を舞台に招き入れての
>>オケの宣伝です。真面目に観た訳ではありませんが、
>>ワインを飲みながら何と無く聴いていると、一々癇に触るのです。
+++++
まことにお疲れ様でした。
駄目な演奏。許せない演奏。
これらを聴くのは時間と精神と肉体の浪費です。
ずばりスイッチを切るに如くは無しです。

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Re: 音我苦・音学・音楽

投稿日時:2004年01月04日 23:07
投稿者:pochi(ID:OXWSiAA)
私は、御多分に漏れず神童と呼ばれていました。

3拍子の適切な表現が生まれながらにして可能でした。トニカとドミナントの自然な結びつき当たり前ものであり、純正3度の響きに幼少から普通で、赤ちゃん時代民謡のこぶしは、聴いた事無く、ウィーン少年合唱団で音程が悪いと想い、繁華街の騒音を耳にすると必ずひきつけを起こし、バスに乗るとディーゼルの排気ガスの臭いで必ず吐いてしまう子供時代をすごしていましたが、矢張り、16歳の頃、才能に限界を感じました。

イリア・カーラーに直接、「お前、なんでヴァイオリン弾きしてるあるか?」と問うた所、「他に出来る事が無いから、仕方なくヴァイオリン弾きをしているあるよ」との回答を得ました。

吉田秀和の様な下らない盤面記者ではないカールフレッシュには頭が下がりますが、理屈を捏ねても音楽を紡ぎ出す事は出来ないと思います。美意識と感性と其れを表現するテクニックが最も大切だと思います。
pochiさん 神童と呼ばれていました。 [04/01/04 23:07:05]
>>理屈を捏ねても音楽を紡ぎ出す事は出来ないと思います。
>>美意識と感性と其れを表現するテクニックが最も大切だと思います。
++++
これはそのとおりなんですが、無伴奏曲を弾くならともかく、たいていの人間は複数の協力で音楽をします。
3人寄れば文殊の智恵ということは有り得ない。
かならず「美意識と感性」の食い違いが発生します。
そのとき「許せない」と言って席を立っていては音楽がやれなくなる。
感性や美意識を言葉で表現し、他人を説得することが不可欠だと思う。

自分が何を感じているかを言葉で表す。
さらに相手の感じていることを自分の言葉に翻訳する。

この二つが出来ないと、アンサンブルは辛くなります。
評論家のやる「音の理屈としての音学」ではなく音楽をやるもの同士の共通言語としての音楽的教養は非常に必要度が高いと思います。
[9148]

Re: 音我苦・音学・音楽

投稿日時:2004年01月19日 21:58
投稿者:かもめ(ID:MjdSkjA)
>米国人がイラクで何人死んだか発表されても、
>イラク人が米国兵に何人殺されたか発表されません。(pochiさん)

まあ、それは仕方ないのではないでしょうか?
イラクの人達とて、フセインが年間3000万ドル以上もパレスチナのテロリストに支援して殺したユダヤ人の数など気にしていないでしょうから。

Geiger1951さんの・・・
>日本をして仮に大東亜戦争の愚を犯さ令めず、華族制度をして猶数世
>代の余命を得令めしならば、今日クラシック音楽はさらに深く日本に根を
>下ろすを得たでありましょう。

というお話しは興味深いですね。
大東亜戦争が愚であったことはたしかですが、それ以上に支那事変は愚の骨頂であったと思います。
せめて、満州事変でやめておけば、その後の日本の状況もかなり違っていたと思います。
ただ、それがどうクラッシック音楽に影響するのかまでは、頭の悪い僕には分かりません。。。

>3人寄れば文殊の智恵ということは有り得ない。
>かならず「美意識と感性」の食い違いが発生します。
>そのとき「許せない」と言って席を立っていては音楽がやれなくなる。
>感性や美意識を言葉で表現し、他人を説得することが不可欠だと思う。

う~ん・・言われてみればあたりまえのことですが、勉強になります。
しかし、合奏ってむずかしいですよね、音楽的な相性の問題もありますし、人間的な相性もありますから。。。
その点はロックバンドでも似たようなものです。。。
[9158]

Re: 音我苦・音学・音楽

投稿日時:2004年01月20日 00:43
投稿者:pochi(ID:WXQidWA)
いきなりレベルを落としますよ。

私は、「音学」に弱いので、アンサンブルに於いて、主体的な演奏はしません。リードするのではなく、リードされる音楽性です。

良きパートナーを得ると力を発揮しますが、そうでないと、只のクズです。しかし、私には良きパートナーを惹きつける何かがありました。(今はありません)

アンサンブル能力に常に感心される、妙なヴァイオリン弾きなのです。

私の文章とは全く関係ありません。脳の別の部分を使っていると思います。

ヴァイオリンに於ける物まね芸人の様な存在の私には、アンサンブルは何人になっても苦になりませんが、リードしないといけない立場になると、弱点を露呈してしまいます。

そういう意味で引っ張りだこだったのです。

コンサートマスターやソロをするときはスコアを全て覚えます。解らない所は、指揮者やコンサートマスターに質問して教えてもらいます。だから、無難でオーソドックスな演奏をします。しかし、音色は独特です。

オケ伴のソロやコンサートマスターをした後で寝込むのは、出来ない「音学」を無理矢理行うからです。そんな私が、「ギリシャにポリュヒュムニアあり、此に吾あり」なんて言った(様な気がする)から、病院送りになったのです。

今でもあの時の私の解釈は間違っていないと思っています。まだ病気なのかも知れません。

殆どの人々はクラシック音楽が第二言語と同じく母国語ではありませんから、苦労して勉強しますが、私にとっては母国語なのです。

ネイティヴ・スピーカーが、外人の訛りを真似る様なものかな?舞台の上で寛容な私は、廻りがどんなに酷くても無難に合わせます。

1度だけ、無料で出て欲しいと云われたコンサートに出て、余りのリズムと音程の酷さに、嫌気がさして、2回目を断わった事があります。

「文法を知らなくても、話すことは出来る」と云えば解って貰えますか?
[9161]

Re: 音我苦・音学・音楽

投稿日時:2004年01月20日 05:05
投稿者:kirin(ID:JnA2WZQ)
pochiさん
> kirinさんが、どう云った感性をお持ちなのか解りかねます。

pochiさんだけでなく、他の方もたぶん、何言っているんだろう、この人、と感じているかもしれませんね。

オイストラフは晩年、日本公演に来た時、何を弾くかと思ったらモーツァルトだった、という話を聞いたことがありました。

モーツァルトの二度のインターバル(音程)を皆さんをどう聞くのでしょうか。どう聞くかがまた、どう演奏するかになると思いますが、二度は「謎」を意味しており、私は人生で経験する多くの謎をモーツァルトの二度に聞きます。
(先日、ピリスのモーツァルトの20番のPf Conを、テレビで聞いて改めてそう思いました。2楽章の2度の美しいこと。)
オイストラフが晩年にモーツァルトを取り上げたのは、やはり晩年になってこそ弾けるようになったモーツァルトというものがあったと想像します。
たった一つのインターバルを取り上げてもまだまだ未知の領域があると思います。同じ旋律でも人生のいつの時期に意識的に取り組むかで、随分演奏は変わるものだと思います。そして、私の友人にはそういう人がいます。子供から、先生のピアノ変わったね、と言われるくらいはっきりした違いです。彼女自身も自覚があります。

私はバイオリンこそ長いこと触っていますが、本当に素人ですし、ここで発言していることは多くの方から教わり、その中から私自身が経験として証明してきた事柄を述べています。どうぞ、何を言っているんだか、と感じられても少しだけ覚えておいて頂けるとうれしいです。音楽は美であり、喜びであり、調和である。それは、平和を語り、実現する前に、人々が自らの心の中にまず持っていなければならないものであると思います。
[9163]

Re: 音我苦・音学・音楽

投稿日時:2004年01月20日 06:40
投稿者:pochi(ID:hhKEJ3A)
「モーツァルトの二度」で、kirinさんが、云わんとする所が少し解ったような気がします。

しかし、品性下劣で痴性しかない私には、もう少し噛砕いて戴けたら幸いです。端的に云えば、難し過ぎます。

他の方々にはすぐに解っても、私には全く解らない事も屡々あります。

もう少し、「音学」のない私に解る様に書いて戴けませんか?
[9190]

Re: 音我苦・音学・音楽

投稿日時:2004年01月20日 21:51
投稿者:Geiger1951(ID:NCd1OQI)
[9158]
[9158]

Re: 音我苦・音学・音楽

投稿日時:2004年01月20日 00:43
投稿者:pochi(ID:WXQidWA)
いきなりレベルを落としますよ。

私は、「音学」に弱いので、アンサンブルに於いて、主体的な演奏はしません。リードするのではなく、リードされる音楽性です。

良きパートナーを得ると力を発揮しますが、そうでないと、只のクズです。しかし、私には良きパートナーを惹きつける何かがありました。(今はありません)

アンサンブル能力に常に感心される、妙なヴァイオリン弾きなのです。

私の文章とは全く関係ありません。脳の別の部分を使っていると思います。

ヴァイオリンに於ける物まね芸人の様な存在の私には、アンサンブルは何人になっても苦になりませんが、リードしないといけない立場になると、弱点を露呈してしまいます。

そういう意味で引っ張りだこだったのです。

コンサートマスターやソロをするときはスコアを全て覚えます。解らない所は、指揮者やコンサートマスターに質問して教えてもらいます。だから、無難でオーソドックスな演奏をします。しかし、音色は独特です。

オケ伴のソロやコンサートマスターをした後で寝込むのは、出来ない「音学」を無理矢理行うからです。そんな私が、「ギリシャにポリュヒュムニアあり、此に吾あり」なんて言った(様な気がする)から、病院送りになったのです。

今でもあの時の私の解釈は間違っていないと思っています。まだ病気なのかも知れません。

殆どの人々はクラシック音楽が第二言語と同じく母国語ではありませんから、苦労して勉強しますが、私にとっては母国語なのです。

ネイティヴ・スピーカーが、外人の訛りを真似る様なものかな?舞台の上で寛容な私は、廻りがどんなに酷くても無難に合わせます。

1度だけ、無料で出て欲しいと云われたコンサートに出て、余りのリズムと音程の酷さに、嫌気がさして、2回目を断わった事があります。

「文法を知らなくても、話すことは出来る」と云えば解って貰えますか?
pochiさん [04/01/20 0:43:11]
>> 私にとっては母国語なのです。
>> 「文法を知らなくても、話すことは出来る」
このように断言できる人は数百人に一人です。例外中の例外です。
pochiさんなら「音学」は不要だと思います。

なお、これは才能とはおそらく無関係で「環境の問題」かも知れません。
本物の神童でも環境が悪ければ醤油味のクラシックになる模様です。
御多分に洩れず(=他の大部分の人と同様に)小生は
誰からも只の一度も「神童」と言われませんでした。
特に両親からは手厳しい批評を受けました。
母は「神童嬢」の伴奏をしましたから息子がそうじゃないのは自明だったようです。

神童嬢は私より年嵩(1940年代生まれ)で未だに海外で演奏していますから本物です。
でも留学前は「宝塚のかぶり付き奏法」と言われたそうです。この意味お解りでしょう。
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