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調整労働と芸術 | ヴァイオリン掲示板

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雑談・その他 5 Comments
[19831]

調整労働と芸術

投稿日時:2005年03月22日 19:21
投稿者:pochi(ID:NZeZkIQ)
芸術活動は音楽に限らず沢山有ります。大きな枠組みでは全ての生産活動は、芸術と云えるかも知れません。

営業は取引ですから、利害の対立を調整するものです。芸術の持つ至高のものを求める活動とは全く違います。マネイジメントも調整ですね。

この二つは、相容れないものだと思うのです。楽器を弾いて居る時にどうすればお金が儲かるか、どうすれば観客が増えるかなんて考えられる人が居たら、物凄いことだと思います。「アタシが売れる為にはこの銘柄の楽器」「顔のココを直せば、観客が此れだけ増えて、収入が此れだけ増える」なんて考えられる人は居ないと思います。

頭の切り替えが瞬時に出来れば其の様な事も同時進行出来るのかも知れませんが、精神に異常を来す様に思います。私には出来ません。

科学的に脳の動きを解明している研究があれば教えて下さい。
[19963]

Re: 調整労働と芸術

投稿日時:2005年03月30日 08:04
投稿者:・・・(ID:FkNgN1M)
 科学的に脳の動きを解明している研究については何も知らないのですが、演劇の世界でもにた様な事があります。
 芸術を極めようとしても所詮、TVで知名度があるか、ハンサムか美人か、そんなことが役者の技術をはかる目安。かつてのタレント(しかも歌手が)舞台に出ているから客集めができるということは多々あると思います。(その方の演技がどうであれ)
 演出家であれ、古い劇団で教育された役者であれ、理不尽さを感じる今日この頃。
 所詮、お金を稼いでなんぼと、マネージメント業界のみがドンドン先走る・・・。そして芸を究めようとすると矛盾に押しつぶされてしまいそうになる。辛いですよね。
 それでも純粋に自分の芸を磨こうと思う人は沢山いると思います。それをマネージする事に意義を覚える人もいます。(挫折する人も多いのですが)
 私は、そういう事実に未来を賭けたい。pochi様にもがんばって頂きたいと思います。
 もっと音楽、芸術に理解のある土壌を作れたら良いですね。
 
 的を得ていなかったら、ごめんなさいね。
[19967]

Re: 調整労働と芸術

投稿日時:2005年03月30日 20:39
投稿者:pochi(ID:E2F3dHA)
西洋伝統音楽は西洋の階級制に立脚しているものなので、貴族性が崩壊したブルジョア民主主義以降では成立し難いのは自明でしょう。共産党が貴族制を守っていたソ連で命脈を保っていたのも頷けます。

プロモーション時代に芸術家が自分の芸を売るのは非常に難しい様に思います。マネイジメントと芸人の職業分化が行われざるを得ないのか?その裏付けとなる人間の脳の仕組みに付いて興味があるのです。

日本は、富の社会的還元の手法が江戸(明治)以来の貧乏根性に立脚して居ます。クラシック音楽環境が貧困なのは、その端緒でしょうね。
[19977]

Re: 調整労働と芸術

投稿日時:2005年03月31日 18:31
投稿者:TORU(ID:J5dkZxk)
旅芸人
河原乞食

と連想すると
芸と「営業」はさほど矛盾していないように思えますが
[19978]

Re: 調整労働と芸術

投稿日時:2005年03月31日 21:44
投稿者:Geiger1951(ID:MSeFeAk)
万物のアルケー(始原)はロゴスであるはずですが、ノモス的世界の極致である現代社会は始原から遠ざかること遥かなるものがあります。
君主制の時代はこのロゴスが擬制としてノモスと一体化していたのです。貴人は「XXあそばす」と敬語で記述されます。つまり君主や貴族は制度的な義務ではなく自由なる意志の発露としての遊びの形でのみ諸々の行動を行います。英語で楽器の演奏を"play"、伊語で"giocare"、独語では"spielen"と申します。
幸田延女史は「ショパン位は演奏し遊ばせ」と弟子に諭したとか。
したがってPochiさんの言うとおりクラシック音楽は19世紀の遺物であるのは間違いありません。現代でそれをやる僕らは酔狂もいい所です。所詮は趣味的自己満足でありますからして、他人の趣味に干渉コキ倒しの小生如きは野暮天を痛感します。
ちなみにバッハやリュリなど昔日のプロ作曲家はロゴスとノモスの使分けを自在にやり遂せました。駄目になったのはベートーヴェンあたりからで、奇特なパトロン貴族のおかげで多数の傑作が残ったことに感謝するのみです。
[19980]

Re: 調整労働と芸術

投稿日時:2005年04月01日 04:08
投稿者:kokukirin(ID:NhZTMkE)
pochiさんのことですから、人の話を鵜呑みにしたり、その人の社会的な立場から意見の正当性を判断されたりしないと思いますので、率直に言える気楽さがあります。また、以下のことも押しつけでなく、一つの意見として読んでいただけると思います。学者や専門家が言えば正しく信じられる、と思っている方が思いのほか多そうなので、ちょっとびっくりしています。

妥協は、決して悪いことではなく、自然の理にかなっている妥協であれば、必要だと思います。むしろそういう妥協こそが真理であると思います。

もう一つ。首都圏のオケの定期演奏会に行くと、よく寝ている方が大勢いらっしゃいます。音楽をどの程度理解しているかに関係なく、日本のクラシック音楽会はこういう方々が支えているという部分もあると思います。いい演奏はそんなに多くはないですが、確実に人々の心に残ります。それを支えているのは、うるさい音楽通ではなく、普通の人たちだと思います。偉大なものの運命を普通の人が左右するのはよくある話です。
たぶん、音楽家はプロや音楽通ではなく、普通の人に向かいあうべきなのかもしれません。

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