奥村智洋 / Tomohiro Okumura
1969年06月01日~Japan
所属音楽学校:
- ジュリアード音楽院(学生)期間:不明~不明
師匠:
- 鷲見三郎 / Saburo Sumi
- ドロシー・ディレイ / Dorothy DeLay
- 江藤俊哉 / Toshiya Etō
- 堀正文 / Masafumi Hori
- 川崎雅夫 / Masao Kawasaki
- なし/不明
コンクール受賞歴:
- 1984年 第53回 日本音楽コンクール 第1位
- 1984年 第53回 日本音楽コンクール 増沢賞
- 1984年 第53回 日本音楽コンクール レウカディア賞
- 1984年 第53回 日本音楽コンクール 黒栁賞
日本では鷲見三郎、堀正文、江藤俊哉に師事、幼くしてその才能を高く評価され、ジュリアード音楽院に奨学生として入学。渡米後はドロシー・ディレイ、川崎雅夫、フェリックス・ガリミアの各氏に師事した。残念ながら無名だが、個人的には日本が世界に誇れる実力派の演奏家だと思う。
まったくの偶然ながら、私は奥村氏の幼少時(小学生)の演奏を耳にしたことがある。もちろん、奨学生としてジュリアード音楽院に留学するはるか以前のことである。
それは、とある門下生発表会の録音テープをふと再生したときだった。幼き奥村氏の演奏曲目はパガニーニのカプリースから第2番と、サン=サーンスの序奏とロンド・カプリチオーソ。これらの超難曲を、彼はいとも簡単そうに、滑らかな美音で朗々と歌い上げたことに私は仰天した。若さ故の拙さと呼べるものは音楽にも技術にも微塵も感じず、ただただ、そこにあった天賦の才能が私に強烈な印象を刻んだ。
その後、風の便りに彼がジュリアードに留学したことを知った。名教授ドロシー・ディレイ(故人)の熱心な勧めもあったと聞いている。これはほとんど当然のことであろう。数年後、私はふと1枚のCDで見覚えのある名前を目にした。あの奥村氏のデビューCDだった。そこにいたのは、世界の超一流レベルを争う新人ソリストだった。
ここ数年は日本を活動拠点にしているとのことだが、クラシック関係メディアおよびファンから頻繁に奥村氏の名前を聞くことはない。これが私の勘違いであれば良いのだが、日本の宝とも言うべき才能を埋もれさせているのが日本の文化レベルの限界だとしたら、残念なことである。