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ヴィブラートのかけ方について その3 | ヴァイオリン掲示板

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[32030]

ヴィブラートのかけ方について その3

投稿日時:2007年03月14日 21:47
投稿者:catgut(ID:FzKJRIE)
以前のスレッド(ヴィブラートのかけ方 その2)が非常に長くなりました
ので、新しいスレッドを作成しました。以前のスレッドの続きはこちらで
お願いします。

本スレッドの趣旨は、客観的事実として弦楽器のヴィブラートは基本的に
は基準音の上下にかかることを確認し、その例外を含めてよいヴィブラート
のかけ方について検討・議論・情報交換を行うことです。

以下、ヴィブラートを基本的に基準音の上下にかける理由について簡単に
まとめました。

・ヴィブラートの起源から
ヴィブラートの起源は人間の声の揺れの真似。よって声と同じく基準音の上下にかける必要がある。

・人間の音程認識から
人間の耳はヴィブラート範囲のおよそ中間の音程を認識する。このため
正しい音程で聞えるようにするためにはヴィブラートを基準音の上下にか
ける必要がある。

・ヴィブラート関係の文献から
レオポルド・モーツァルトやカール・フレッシュの著書など、多数の文献
で「基準音の上下にかける」「上に向けてかける」と書かれている。

「基準音の下にかける」「下に向けてかける」と主張したのはイヴァン・
ガラミアンのみであり、他に(ガラミアンの主張と独立に)「基準音の
下にかける」「下に向けてかける」と主張した文献は現時点までに見つ
かっていない。

・弦を押える長さから
第一ポジションでは60セント幅のヴィブラートをかけるためには約8-9
ミリも弦を押える位置を変える必要がある。ヴィブラートを下にかけるた
めには極端に指を立てないと不可能。また開放弦から半音上の音に
ヴィブラートをかけることは非常に困難ということになるが、実際にはそ
のようなことはない。これは実際には基準音をまたいで上下に指を動
かしているため。

・実際の演奏者の意識から
現在国内でも音大生などに「基準音の上下にかける」と考えている方
が多数いる。
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【ご参考】
[32307]

Re: ヴィブラートのかけ方について その3

投稿日時:2007年03月27日 15:56
投稿者:catgut(ID:IjRRNkc)
[32305]
[32305]

Re: ヴィブラートのかけ方について その3

投稿日時:2007年03月27日 15:20
投稿者:catgut(ID:IjRRNkc)
春間さま、
鷲見三郎の「上からかける」指導方針は「ヴァイオリンのおけいこ」だけで判断しているわけではありません。下記が「下から」かける指導に受け取れますか?

「ヴァイオリンのおけいこ」
この前進と後進の動作は1回だけではなく、各各4回ずつ、ゆっくり規則的に運動させるようにします。

「新しいバイオリン教本3」
その音を中心にわずかに上下にゆっくり不規則にならぬように動かすことから始める(中略)上下に動かす運動を次第にはやめていく。

さらに、鷲見三郎はカール・フレッシュを非常に高く評価しています。
カール・フレッシュの「ヴァイオリン演奏の技法」でも「上に向けてかける」練習を推奨しているのは明白です。ご確認ください。
の補足です。
私の理解では、鷲見三郎の指導方針は以下の通りです。

(1)まず手前に動かす練習をする
(2)その後後方に動かす練習をする
(3)これらの練習を総合し実際のヴィブラートは手前からかける

春間さまは鷲見三郎が後方に動かす練習をさせている点を取り上
げていますが、私も[32293]
[32293]

Re: ヴィブラートのかけ方について その3

投稿日時:2007年03月27日 01:12
投稿者:catgut(ID:IjRRNkc)
通りすがりさま、
ヴィブラートをかける方向に関する問題点をより一般的に書くと以下のようになります。3つのケースに分けます。

(1)本当に基準音から下に向けてかけなければならないと信じている場合
・正確に下にかけた場合、あるべき音程から20-30セント程度低くなってしまう
・指を立てて弦を押えないとヴィブラート幅が確保できない
 特に開放弦から半音上の音はナットが邪魔になってヴィブラートがかけられない
・意識として上にはみ出すことを恐れて思い切り大きなヴィブラートをかけられない
・下に向けてかけるのが不得意な人でも下にかけなければならない
・運指の都合上、上に向けてかけはじめると楽な場合も必ず下に向けてかけなければならない。(例えば上にシフトすると同時にかけはじめるヴィブラート)

(2)基準音の上下にかけると意識するが下に向けてかけはじめる場合
・下に向けてかけるのが不得意な人でも下にかけなければならない
・運指の都合上、上に向けてかけはじめると楽な場合も必ず下に向けてかけなければならない。(例えば上にシフトすると同時にかけはじめるヴィブラート)

(3)基準音の上下にかけると意識しどちらに向けてもかけてよいと考える場合
 上記の問題はいずれもなし。


つまり、「上に向けてかける」のが楽な人にとっては、「下に向けてかける」練習はごく限定的でよいと考えます。
で書いたとおり、下にかける練習自体
は否定していません。ただし、確かに[32291]
[32291]

Re: ヴィブラートのかけ方について その3

投稿日時:2007年03月27日 00:46
投稿者:catgut(ID:IjRRNkc)
通りすがりさま、

私の趣旨を理解して頂きありがとうございます。
こちらのスレッドであれば持論を述べることが可能です。
ご質問の点にコメント致します。

「下にかける」ばあいの弊害は?
①指の形がいびつになる
②音程が定まらない・・・?
→いずれも違います。最大の問題は「上にかける」ほうがずっと容易な
人に対して、下にかける練習を必要以上に行わせる(最悪強制する)
ことだと思います。これは時間の浪費になったり、上達を遅らせる可能性
があります。「下に向けてかけるほうがかけやすい」人に限って下にかけ
る練習を行うべきだと思います。

なお、鷲見三郎は前掲の通り「手首が出るくせがつく場合がある」として
下側に向けてかける練習を否定しています。

②’ビブラートの中間点を正しい音程と認識する。よって下に掛けた場合は基準音より低い音がでる・・・?これでいいですか?
→違います。すでに「下にかける派」の方々も実際の演奏では基準音の上下にかけるとの認識に変更して頂いたと考えています。

ビブラートの変化する音程の中で、人間がどの音程を認識するかという問題は、実証可能でしょうか???私は不可能と思います。
→実際の演奏において「音程」が人間に聞えているのですから、
実証的な調査は十分可能だと思います。波形の件については、音響
学者の多数見解としては基準音より時間的に長く振動するほうに認識
される音程が偏るということになっています。
で私が書いた

>「手首が出るくせがつく場合がある」として下側に向けてかける練習
>を否定しています。

は不正確ですので、以下に訂正致します。

>「手首が出るくせがつく場合がある」として下側に向けてかける練習
>だけを行うことは否定しています。

鷲見三郎が実際の演奏において上に向けてかけはじめると指導している
という認識に変更はありません。
[32310]

Re: ヴィブラートのかけ方について その3

投稿日時:2007年03月27日 18:28
投稿者:yas(ID:IjIkIQU)
これまで読んできましたが、どう見ても、

[32230]
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Re: ヴィブラートのかけ方について その3

投稿日時:2007年03月25日 00:38
投稿者:一介の数学屋(ID:QQBIIgU)
いやいや、31198をスコットランド牛ネタ、と申し上げたんで、急にスコラ哲学に転向されても困るなーー。この種の外しは私には通用しませんよ。
ではWEB書き込み3例を根拠とすることを放棄するのですか?

tartiniを根拠とする(catgut氏のオリジナルデータはそれのみでしょう)なら、
「上限音程認識説を否定し去るに十分有意な個数の統計データがある」
「ところが多くのヴァイオリン指導者が、上限音程認識説を生徒に授けている。この事実は奇妙である、何か教育上の理由があるのかも知れないが自分には教育者の見解を聞くチャンスが無く、理由については判断を保留する」
というに止めるのがもっとも論理的でしょう。あーだこーだ言うより却って教育者に対する問題提起となり得る。
catgut氏の足場は演繹法でなく、統計的手法だったでしょう。
なお、学者の論文を引用しても結構ですが、その論文で音程認識説ではない「レッスン時のヴィブラート教授法」を統計的に扱ったものがあるかないか、示していらっしゃらないように見受けます。
一介の数学屋氏

に全てが集約されています。これに関連するスレ全てを読み進める時間がない人がいれば、「この記事さえ読めば、大筋は分かる」と申し上げるところです。更に議論を進めても、これ以上新たな知見が出るとは思えません。
[32313]

Re: ヴィブラートのかけ方について その3

投稿日時:2007年03月27日 20:07
投稿者:catgut(ID:KSI4ZgE)
yasさま、

従来の「下派」こそが、「基準音絶対主義」であり「ヴィブラート幅の上限が基準音」という根拠で、「仮に演奏が難しかろうが必ず下に向けてかけなければならない」と主張してきたわけです。ところが「ヴィブラート幅の上限が基準音」という根拠が怪しくなってきた途端、主張を変えて来ているわけです。

既存の「下派」の指導書は「正しい音程のために必要だから」ヴィブラートを下にかけると説明しているものばかりで、「美しいヴィブラートになるから」「上達するから」などという理由が記載されているものは少なくとも私は見たことがありません。もし、そうなのであれば一つくらいあってもいいのではないでしょうか?

指導書の記載内容を調査するのは、現実の指導内容を調査することよりも信頼性が乏しいとお考えですか?
[32314]

Re: ヴィブラートのかけ方について その3

投稿日時:2007年03月27日 21:43
投稿者:一介の数学屋(ID:QQBIIgU)
[32289]
[32289]

Re: ヴィブラートのかけ方について その3

投稿日時:2007年03月27日 00:18
投稿者:catgut(ID:IjRRNkc)
一介の数学屋さま、

それでは「右肘を上げないで運弓するドイツ式ボーイングでもヨアヒムという偉大なヴァイオリニストが存在するのだからドイツ式ボーイングが運弓に悪影響があるはずがない」というのと同じ論理ですよね。この論理もお認めになりますか?

wtnabeさま、

今現在広く使用されている「新しいバイオリン教本」などが上下に・上に向けてかけることを推奨しているわけです。これ以上なにか私が言うべきことがあるでしょうか。
catgut 氏書き込みを引用します。
引用開始
--------------
一介の数学屋さま、

それでは「右肘を上げないで運弓するドイツ式ボーイングでもヨアヒムという偉大なヴァイオリニストが存在するのだからドイツ式ボーイングが運弓に悪影響があるはずがない」というのと同じ論理ですよね。この論理もお認めになりますか?
--------------
引用終了:
昔のことにお詳しいですね。感心しますが、私はヨアヒムを自分の耳で聴いた覚えはありません。catgut氏は聴いたことがあるのですか。
その時代にはその時代の演奏上のパラダイムがあります。レオポルト・モーツァルトを尊敬して居られると存じますが、レオポルトとシュポーアの時代では演奏パラダイムが異なる。シュポーアとヨアヒムをそうです。また、ヨアヒムとクライスラーも異なるパラダイムに生きています。
否、むしろ偉大な演奏家がその時代のパラダイムを作るのでしょう。
私は現代の演奏家の演奏を好んでおります。現代の我々の美意識に訴える演奏家が作り出したパラダイムの世界の、私は住人です。この限界を悲しいとは思いません。catgutさん、この意味おわかりと存じます。
言葉の遊びは無益です。
あなたの「ヴァイオリン教育者批判」は面白く拝読できますが、推測ないし仮説に過ぎないことは証明されました。
やんぬるかな。もうおやめください。
それにしても、論理の素人をいじめても詰まらんなぁ。
[32315]

Re: ヴィブラートのかけ方について その3

投稿日時:2007年03月27日 21:56
投稿者:catgut(ID:KSI4ZgE)
一介の数学屋さま、

論理に対して価値論で反論ですか。数学屋らしくありませんね。
ここはぜひ論理で反論して頂きたかったところです。
ヨアヒムは1903年に録音されたハンガリー舞曲2番を聞いたことがあります。現在の我々が聞いても素晴らしい演奏だと思います。

この掲示板をご覧になっている方はヴァイオリンを実際に演奏される方が多数いらっしゃる上に、「詭弁」というものをよくご存知です。ほどほどにしてくださいね。
[32316]

Re: ヴィブラートのかけ方について その3

投稿日時:2007年03月27日 22:07
投稿者:一介の数学屋(ID:QQBIIgU)
ヨアヒムが当時と同じ演奏を現代の我々の前で行ったとき初めてヨアヒムの「ドイツ式ボーイング」を評価できますよ。
この事実のどこが理解できませんか?
レオポルト・モーツァルトは深山さんより優れたヴァイオリニストですか?
意味の無い比較でしょう?
ヨアヒムについて我々が客観的に評価可能なのは彼の残した作曲です。
ブラームスのコンチェルトのカデンツァは偉大にきまっています。
でも彼の演奏が現に我々の眼前で行われたときどうか、永久に解らないでしょう。価値観ではありませんよ。
それにしても「詭弁」とは語るにおちたな。
[32317]

Re: ヴィブラートのかけ方について その3

投稿日時:2007年03月27日 22:51
投稿者:auxo(ID:FoIQR4M)
飽きてきたからこれで最後にします。あとはROMに徹します。

大体が現代のヴィヴラート奏法はイザイ、クライスラーを経て定着したものでバロック時代やヨアヒムのそれとはパラダイムが違うのは当たり前でしょう。
フレッシュもクライスラーのヴィヴラートを個性としては尊重したものの指導に際してはヴィヴラートを限定的な使い方にとどめるべきとした少々古いパラダイムに属するし。
そもそも音楽表現の一部であるヴィヴラートに対して「価値論」を含まない論理なんて無意味です。

ガラミアンに限らず「下派」の演奏はヴィヴラートの教授法および考え方が間違っているからダメだとでも言うことになってしまいかねない論理展開ですね。

大体ガラミアンの言った事が間違っていたにせよ方法論として「下にかける」事が有効であるのならその教授法を躍起になって否定しなければならない理由は無い。
それが結果として客観的データには「上下にかかっている」ようになっているとしてもです。
それがこの掲示板における「下派」の意見であるようにざっと読んだ限りでは思いましたが、変節した方がいたでしょうか?
ちょっと思い出せません。

正確に基準音から下だけにかけるなんて事が出来る耳の持ち主なら、自分にとって望ましい音程になるようビブラートの調節も出来ることでしょう。
音程に問題の無い「下派」の人はそのように無意識の内に調節しているのでしょう。
そしてそれは「ビブラートの上限が基準音として聞こえる」と信じていたとしても結果は同じです。
人間の耳なんて当てになりませんからね、上にかかっている分は聞こえていても聞いてはいないなんてことも大いにありうる。
ってこれはさまざまな人が指摘されているポイントですね。

弊害があるというのならおそらく「上にかける」派にも裏返しのことが言えるのではと思いますよ。
例えば指を寝かせすぎるだとか、下にかけるのが得意なのに上にかけなければならないだとか。

所詮、教則本なんてのは参考程度です。あんなもので語りつくせるものではない。あのフレッシュの分厚い本ですらです。

時代の価値観と指導者の流派で決まってくるパラダイムについてはレッスンの現場でしか語れないことだと思います。
当然そのパラダイムが変化しても良いけれども、以前のパラダイムが間違いだった事にはならない。
現に古楽なんて古いパラダイムを再現しようとする動きだってある。
「下派」のパラダイム自体が否定されるわけでは無いし、議論されている以上、別にそれが現行のメインパラダイムであるわけでもないでしょう。

個人的な意見としては上下に大きくビブラートをかける人は音程をごまかす傾向があって音を合わせ辛いのでなるべく隣に来て欲しくありません。
ソリストは……それで音程が悪いとたたかれない限りどれだけ高く音程をとろうがどのようなビブラートをかけようが勝手でしょう。
下にかけようが上にかけようが同じことです。

ま、耳が多少良くて注意深くビブラートを聞いている人なら上下にかかっている事はソフトを使うまでも無く分かる事だけれど、それをデータで実証して下さったことには感謝します。
が、そこから指導法の否定にまで飛躍するのは少々無理があったのではないかとこのところの展開を見ていると思います。

長文失礼しました。
[32319]

Re: ヴィブラートのかけ方について その3

投稿日時:2007年03月27日 23:10
投稿者:catgut(ID:KSI4ZgE)
auxoさま、
以下コメントさせて頂きます。

>人間の耳なんて当てになりませんからね

これはむしろ逆だと思います。私は以前から主張している通り、奏者が「ヴィブラートを基準音の下にかける」という意識でヴィブラートをかけていても、分析ソフトで確認すると「上下にかかっている」わけです。
これは「人間の耳が良すぎて」意識に反して正しい音程が聞える位置にヴィブラートをかけてしまうとしか考えられません。他に仮説が考えられるのであればぜひご教示お願いします。

また、長くこの話題を書いていますが、これだけヴァイオリンに関する碩学が集まるこの掲示板でも、ガラミアン系以外には「ヴィブラートを下にかけはじめる」という指導の情報は出てこないわけです。1950年代(すべて上に向けてかける)と現在でヴィブラートに関するパラダイムが変わったとは私には思えませんので、「ヴィブラートを下にかける」という指導がガラミアン由来であることはほぼ間違いないと考えています。そしてそうする理由は「基準音の下にかけるため」という誤った理由なのです。
[32321]

Re: ヴィブラートのかけ方について その3

投稿日時:2007年03月27日 23:54
投稿者:catgut(ID:KSI4ZgE)
「下派」とここで述べているのは、「ヴィブラートをかける際は必ず下に向けてかける」という意識でかけている方々のことです。当然練習も常に下に向けてかける練習を行い、例外的に上に向けてかける練習をする程度と想定しています。

当然「下派」にとっては実際に行っている「下にかける」奏法や練習が「間違い」だと言われれば強く反発を感じるはずです。なぜなら実際に「下にかける」奏法には実績があり、客観的に見ても優れた演奏をしているからです。まったくその通りだと思います。ただ、私は「下にかけると意識するからよいヴィブラートになる」のではなく、耳が音程を補正しているのだと思います。意識と耳が分離できる人が良い演奏が出来ると考えられます。

信じない方とは立場が異なりますが、私は「従来の下に向けてかける」指導には実害が生じていると考えています。間違った前提で行っていることに害がないなどということは考えられません。意識と耳が分離できない人は混乱します。前述の通り下にかけるとしても「基準音の上下にかける」という認識が浸透すれば、実害はかなり軽減されるでしょう。さらに「上にかけても良い」ということであれば実害はほとんどなくなるでしょう。
[32322]

Re: ヴィブラートのかけ方について その3

投稿日時:2007年03月28日 00:15
投稿者:auxo(ID:MiQlcgY)
最後って言ったけど問い返されたように思うので返答しておきます。

聞こえている、つまり上下にかかっているのが聴覚刺激としては脳に届いている。
けれども、意識される情報は大部分が捨象されてしまうので「基準音から下にかける」と思っている人にはその上にかかっている分は意識されない。
だから人間の耳なんていい加減なんです。聞きたい情報だけ取り出して聞けてしまう、ということです。
ま、言ってる事は同じです。無意識の内に処理していると僕も書いています。
矛盾はありません。それと後段で触れましたが、注意深くビブラートを聞く訓練をすれば下にだけかかっているわけではない事を聞き取る事もできます。
いい加減ですね。思い込みと訓練で認識は変化しうるんですから。
ですからcatgutさの「上下にかかっている」というデータは有用だと思いますのでそこは僕も歓迎しています。

それとガラミアンの弟子は「ビブラートの上限を聞いている」という説を否定したそうですが、指導法としては採用しています。
理由は間違っていたとしても訓練法としては評価すべき点があるからだと思います。
深山先生の説などその辺りから評価すべきですね。
それと同時代にパラダイムが一つしかないとは限りませんし、ガラミアン派というパラダイムが存在しています。
別にガラミアンを擁護したい訳でもないんですが、間違った理由から導かれた方法論が方法論として間違っていると断言するのはちょっと無理があります。
方法論としての誤りを(あるとするなら)正すべきでしょうね。
もちろん万能の方法論なんてあるわけが無いのだから欠点をあげつらう事は可能ですが、完全に間違った方法論であることを証明するのは難しいでしょう。
より良い方法論を示すのもありですが、さりとてそれで他の方法論が間違いであるとはいえません。
だからこの類の議論は無意味です。ケースバイケース、人による、ぐらいしかいえないでしょうね。
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