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ヴァイオリンと数学 | ヴァイオリン掲示板

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雑談・その他 39 Comments
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ヴァイオリンと数学

投稿日時:2004年02月04日 01:11
投稿者:fiddlin' economist(ID:MhFZBZE)
「バイオリン以外の趣味、スポーツ等‥」のスレで、ヴァイオリンをやっている人に理工系が割に多く、数学好きも多いのではと推察しました。
私も大学は”いちおう”数学ででています。もっとも数学力の限界はすでに高校のときに感じていまして、どちらかというと数学教育のほうに興味を持っていました。数セミはあまり読まずもっぱら現代数学(のコラムばっかり)を読んでおり、森毅のファンでした。
子供の頃、ヴァイオリンを習いたいと言ったのは私なのですが、私の父親がヴァイオリンをやると数学に強くなるらしい、と聞いてきて習わせ始めたと言っておりました。日本にいた時の子供の先生も高校までは数学の道も考えていたけれど、結局ヴァイオリンで音大に行ったということでした。
pochiさんご指摘の形式美に魅せられるというところはあるのかもしれません。ロマンチックなものは嫌いではありませんが、少し苦手です。

--別に剣道に対抗しようというつもりはありません。念のため:)
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【ご参考】
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Re: ヴァイオリンと数学

投稿日時:2004年02月04日 01:32
投稿者:yam(ID:YUJwSVA)
私は全くの理科系人間で、文系的なものすべてが大嫌いです。
小説やTVドラマには興味がありませんし(男と女が出てきて喧嘩したり恋愛したりするだけの芝居の何が面白いのか)、宗教や国家主義その他全ての権威主義(君が代、日の丸、校歌、社歌)は下らないと思うし、成人式とか入社式、入学式などの儀式は退屈そのものだったし、精神論や観念論は馬鹿げていると思います。楽器の演奏法、練習法などに関しても、非合理で非科学的な言説が横行していると思います(これはスポーツも同じ)。
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Re: ヴァイオリンと数学

投稿日時:2004年02月04日 02:10
投稿者:fiddlin' economist(ID:MhFZBZE)
yamさん、
私はyamさんほどではありませんが、考え方はかなり似ているなあ、と感じます。ただし、私は、小説は推理小説なら好きです。TVドラマも推理(犯罪)モノなら好きです。NYに来てLaw&OrderというTVシリーズにはまっています。
カールフレッシュを読んで試してみながら、「科学的練習法」を考えたいものですが、こればかりは実践的ですから私のレベルでは無理かもしれません。
yamさんはバロック好きですか?それとも、ブラームスはお好き?
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Re: ヴァイオリンと数学

投稿日時:2004年02月04日 06:02
投稿者:pochi(ID:FEMWNAc)
中学1年生の時、数学の文章題で、
「この回答を書き込むには、余白が広過ぎて書けない」と書き込んで、数学の先生に呼び付けられて怒られました。採点では満点になりました。

fiddlin' economist氏が感じていらっしゃる通り、
数式の形式美と音楽の形式美は共通しますが、ロマンティックな美しさと数学的形式美は異質だと思います。

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Re: ヴァイオリンと数学

投稿日時:2004年02月04日 01:32
投稿者:yam(ID:YUJwSVA)
私は全くの理科系人間で、文系的なものすべてが大嫌いです。
小説やTVドラマには興味がありませんし(男と女が出てきて喧嘩したり恋愛したりするだけの芝居の何が面白いのか)、宗教や国家主義その他全ての権威主義(君が代、日の丸、校歌、社歌)は下らないと思うし、成人式とか入社式、入学式などの儀式は退屈そのものだったし、精神論や観念論は馬鹿げていると思います。楽器の演奏法、練習法などに関しても、非合理で非科学的な言説が横行していると思います(これはスポーツも同じ)。
yam氏投稿
こういうのが私は大好きなんです。目的整合性という言葉があります。目的自体をお嫌いならば、仕方が有りませんよね。

スポーツの精神論は、少し違います。人間を極限状況に追い込むと、人間を統合失調症の陽性期に似た状態にする事が出来ます。所謂火事場の馬鹿力というやつです。(中井久夫)これを求めるのが非科学的スポーツ鍛練です。戦争での突撃訓練も同じ、神風特攻隊には、覚醒剤を配布して、突っ込ませました。

毛沢東曰く、「理論は実践でしか証明されない」でしたっけ?数百年に亙り、実践で証明されている練習法に疑問を持っても、実践で証明する以外に方法はありません。一方、現代技術の革新は潔く受け入れるべきです。例えば、録音機器を上手に利用するなんていうのは、昔の人には考えられなかった事です。絃も進化しています。
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Re: ヴァイオリンと数学

投稿日時:2004年02月04日 12:38
投稿者:つけたし(ID:NSOCAWU)
yamさんは楽器する人なの?
演奏する曲って宗教的なものや、なんか文学チックなもの多いと思うけど完全理系人間ってどうやって表現するんだろう?興味あるなぁ~
>小説やTVドラマには興味がありません
オペラがお嫌いなのは確かですね(笑)
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Re: ヴァイオリンと数学

投稿日時:2004年02月05日 23:33
投稿者:yam(ID:YUJwSVA)
fiddlin' economistさん

ブラームスもバロックも弾きますよ。一応。ブラームスのバイオリンソナタ第1番を50人くらいの客の前で弾いたこともあります。バッハのソナタも人前で弾きました。一番得意なのは近現代物ですが。
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Re: ヴァイオリンと数学

投稿日時:2004年02月05日 23:57
投稿者:天音のパパ(ID:NwcoUGU)
小生、数学な頭の持ち主ではありません。しかし、学生時代は、理系頭で通っていました。中学は普通の区立、高校は第五志望の馬鹿都立高校に行ったため、数学の成績も校内ではトップクラスでした。しかし、テストの最後設問の応用題がいつも解けず、数学の能力の限界をみてました。なぜか最後の方の応用題が解けないんです、高校ん時うちのような馬鹿学校でこんな問題解けないだろっていう問題を解いてほぼ100点近い成績をとってた数学のライバルは、理科大の数学科?かどっかに行きました。中学ん時の数学のライバルは、一ツ橋だかどっか出て大蔵官僚になったと聞いています。思えば、自分の数学の能力の限界を感じた頃と、バイオリンのあきらめを感じたのも同じ時期のような気がします。はぁ~~~
才能がなかったんですなぁ~~~
どちらも好きだったんですがねぇ~好きこそ物の上手~~~~、、、、、、
そんな言葉は嘘ですな(笑)
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Re: ヴァイオリンと数学

投稿日時:2004年02月06日 01:03
投稿者:yam(ID:YUJwSVA)
私はヴァイオリンの「才能の限界」を感じたのは小学生のときでした。数学の「才能の限界」を感じたのはずっと後(大学院時代)のことです。今はどちらも趣味になってしまいました。ヴァイオリンについては、自分の才能のなさを自覚しながらもそれなりの年数続けてきたので今でもなんとか弾けるのだと思います。やめようと思ったことはないですね。たぶん、数学で飯を食えるようになるのは、ヴァイオリンで食っていけるようになるより難しいと思います。
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Re: ヴァイオリンと数学

投稿日時:2004年02月06日 04:30
投稿者:pochi(ID:EoIkiXM)
私はyam氏と反対で、ニュース番組等は、内容寄りもアナウンサーのメイクの仕方、表情のコントロール、照明、ディスプレイ何かを観ます。

日本の時代劇が大好きです。通行人の様な脇役の女の子なんかを見ています。ストーリーは馬鹿らしくて考える事もありません。挿入歌は必ず注意して聴きます。稀に上手な人が演奏している事があります。

成人式は行きませんでしたし、卒業式は答辞を読まないと行けなかったから仕方がなく行っただけです。内容は、小説家として先生に受ける為に書いただけで、どうでも良いものです。

入学式は、校長先生のお話をじっくり聞いて、どのくらいの知的レベルがあるのか、測ります。2分以上話をする人は、先ず惚けていると考えて間違い有りません。誰に対して話をしているのか、目的整合性が解っていないからです。論理の間違え、言葉遣いの間違えをメモしておきます。万が一、退学にでもなりそうになったら、校長を脅す事をいつも考えていたからです。

小説は、文体の美しさを堪能する為や疑似体験の為に読みました。小学校の頃読んだ本と、実体験とは、大きく異なる事を身をもって知りました。日本のTVドラマは、内容が薄っぺらくて退屈ですが、身のこなしや、話のタイミング、声の音程を聴いていました。「太陽に吠えろ」なんか、結構笑えます。昔の映画の方が好きです。現代とは身のこなし方や台詞廻しが違います。

数学的な美しさという観点以外にも、音楽には色々な要素がありますから、なんでも観てみるのは大切です。舞台で仕事をするのなら、まず、ストリップショーに行く事を強くお勧めします。私は残念乍、ストリップを観ても欲情した事は一度もありません。
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Re: ヴァイオリンと数学

投稿日時:2004年02月08日 01:10
投稿者:yam(ID:YUJwSVA)
いやあ、pochiさんは面白い方ですねえ。

私は、流石に校長を脅迫することは考えたことがありませんでした。

日本における社会生活は、阿呆らしい儀式と無意味な風俗習慣で満ち溢れており、そういう知的風土の中では、疑問を持ったり批判力を育てることよりも、権威に盲目的に服従することが大切だと教わります。日教組の先生方も、日の丸、君が代には反対しますが、校旗や校歌を強制することにはなんの疑問も感じないようです。つまり、特定のデザインの布切れを有難く崇拝するという奇妙な風習があり、それに疑問を持ってはならないのです。ちなみにこの風習はどうやら西洋起源のようです。また、校歌、社歌は国歌と同じくらい類型的で、どこの学校、会社の校歌、社歌も同じようなものです。ドビュッシー風の和声の校歌とかジャズ風校歌とかロック調の社歌とか12音音楽の国歌なんてものは存在しません。唯一共通する特徴は、音楽的につまらないということです。つまり、つまらない音楽を崇拝することに意義があるのです。学校の運動会では、朝鮮人民軍も顔負けの一糸乱れぬ軍隊式行進の訓練があります。週一回「朝礼」があり、校長と教頭が退屈きわまる話を聞くことを生徒に強要します。組合の春闘では、どうせボーナスは雀の涙程度しか増えないにもかかわらず、鉢巻を締めて全員で揃って拳を突き上げ、なにか闘っているようなポーズをしたりします。学校には入学式があり、○×高校憲章の類があるように、会社には入社式があり、社訓があり、社長の年頭訓示があります。社訓や年頭訓示はだいたい陳腐で空疎な型どおりの内容であり、結婚式のスピーチと同じくらい形式的です。だれも真面目に聞きやしませんが、形式が大切なのです。
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